リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘 -宿命の安宅産業-

 

に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、一章ずつ紹介しています。 

 

今回は、『第二章 宿命の安宅産業』 で、彼の半沢直樹的な活躍を紹介したいと思います。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

安宅を破綻させたら日本経済は焦土に

 1975年9月に安宅産業の経営危機が主力銀行の住友銀行に伝わり、その翌月に、当時融資部次長だった西川氏は安宅産業対策チームに呼ばれ、以後通算八年に渡って安宅産業の処理に忙殺されることになったそうです。

安宅産業の再建、整理に関して、

 「安宅を破綻させたら日本経済は焦土に」と著者は表現していますが、決して大げさな表現ではないようです。

 

Wikipediaでは、

 安宅産業破綻(あたかさんぎょうはたん)とは、1975年に発覚したカナダにおける石油精製プロジェクトの失敗に端を発する、当時10大総合商社の一角を占めていた安宅産業の経営破綻のことである。最終的には、1977年に伊藤忠商事に吸収合併されることで解決をみた。石油ショックによる景気後退の只中に経営危機が発覚したため、恐慌を防ぐために政府・日銀までが事態収拾に乗り出した。そのため安宅の破綻処理は「“日本株式会社”の総力戦」「安宅産業の生体解剖」とも呼ばれた。

といった記載がありますが、だいぶ、月日がたって、記録、記憶も薄れている昨今ですが、当時は、戦後最大の経済事件、企業経営危機といった大事件だったようです。

 

 西川氏が回顧録の中から抜粋する形で、「安宅を破綻させたら日本経済は焦土に」の理由を箇条書きで説明します。

  • もし安宅産業が倒産すれば、当時の戦後最大の倒産規模の5倍に達する超大型倒産であった。
  • 3万5千社に及ぶ取引先、230行もある取引銀行、関連会社も含めると2万人の従業員の失業の恐れがあった。
  • 日本の総合商社、当時の十大商社の一角が破綻し、外国の銀行が損失を受ければ、日本の総合商社、多額の融資をしている日本の銀行の国際的信用の悪化、信用不安の連鎖が起こり、昭和金融恐慌の再現、日本企業の海外事業に壊滅的打撃の恐れがあった。

『安宅を破綻させてはならない。対応が誤ったら日本経済はおしまいだ。私たちは文字通り日本経済を救う使命感を持って、この問題に取り組んだのだ。』

と西川氏は語っています。カッコいいですね。

 

伊藤忠が引き受けなかった事業の再建、整理に奔走する

 安宅産業は1977年10月に伊藤忠商事吸収合併され、70年以上にわたる歴史に幕を閉じたますが、伊藤忠商事が吸収、引き受けしなかった企業、事業の再建、整理に1984年9月まで、文字通り、奔走します。

 

やはり、リアル半沢直樹、現場に足を運びます。

 北洋漁業の漁労会社に足を運び、現場の長に、『どうです、西川さん、一遍、船に乗って北洋に行きますか』と言われたそうです。実際に、船に乗り、荒れ狂う北洋を経験するシーンがあれば、まさに、ドラマですが、その時は、実際に船に乗って、北洋に行く機会は残念ながらなかったかそうです。

 ゴルフ場の再建では、山梨県の大月カントリークラブの開発予定地に足を運び、設計図だけではわかないことが多いということがわかり、まだ山林原野の状態だった土地を二日がかりで地下足袋で歩いてみて回ったそうです。

本当に、昭和の半沢直樹という感じですが、半沢直樹が、実は西川氏をモデルにしているのかもしれません。

 

安宅コレクションの売却

 半沢直樹では、伊勢島ホテルの再建時に、先代の会長が持っている絵画コレクションを売却させる話が登場しますが、安宅産業の再建時の話を参考にしているかもしれません。

 安宅産業では、創業者安宅弥吉の長男・安宅英一元会長が収集した国宝級、重要文化財級の1000点以上の美術品「安宅コレクション」というものが存在しました。

 『コレクションは、驚くほどの内容だった。陶磁は国宝が2点、重要文化財が13点含まれていた。他に、重要文化財として、速水御船の作品が2点あった。』と西川氏が語っています。

 半沢直樹と違い、高く売却するという話にならずに、公共の文化財としての収蔵、展示するため、大阪市に寄贈されたそうです。

 文化庁から正式に保全要請も出たこともあり、最終的には大阪市に寄贈されました。大阪市中之島公園内にある大阪市立東洋陶磁美術館は、この膨大な安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されました。

 今でも、大阪市の至宝として安宅コレクションは高く評価されているようです。安宅英一氏は、経営者としてはともかく、美の求道者として、美術収集家としても評価は高いようです。

安宅コレクション、大阪市立東洋陶磁美術館の経緯については、

www.sumitomo.gr.jp

の記載も参考にしてください。

 

本の紹介

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録–西川 善文 (著) 

2011/10/14初版

 
 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

 

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飛青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

 

大阪市立東洋陶磁美術館は、この膨大な安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録