ロシアのウクライナ侵攻の停戦時期・条件についてプーチン ロシア大統領演説や冬戦争(ソ連・フィンランド戦争)から考える

■はじめに

ロシアのウクライナ侵攻の停戦時期・条件についてプーチン ロシア大統領演説や冬戦争(ソ連フィンランド戦争)から考えてみたブログ記事です。

 

 

■関連ブログ

 

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冬戦争

戦争論から

プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは、『戦争論』で「戦争は外交(政治)の一手段(継続)である」と論じています。

つまり、戦争には、必ず、政治上、外交上の目的があります。

ロシアは、この目的が達成するまで、戦争は継続するでしょう。

ロシアの戦争目的を開戦(侵攻)直前のプーチン大統領の演説から考えて、ウクライナ侵攻(戦争)の終わりを予想したいと終わります。

 

■ロシアの戦争目的

●なぜ今か

軍事分野に関しては、現代のロシアは、ソビエトが崩壊し、その国力の大半を失った後の今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。
そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している。
この点で、我が国への直接攻撃は、どんな潜在的な侵略者に対しても、壊滅と悲惨な結果をもたらすであろうことに、疑いの余地はない。

また、防衛技術などのテクノロジーは急速に変化している。
この分野における主導権は、今もこれからも、目まぐるしく変わっていくだろう。

しかし、私たちの国境に隣接する地域での軍事開発を許すならば、それは何十年も先まで、もしかしたら永遠に続くことになるかもしれないし、ロシアにとって増大し続ける、絶対に受け入れられない脅威を作り出すことになるだろう。

と演説にある通り、

核戦力も含めたロシアの軍事力、防衛技術が優勢である「今」で、国境に隣接する地域(つまりウクライナ)が敵対する軍事開発をしようとする「今」が、ウクライナの敵対行動を防ぐ絶好の機会と考えて侵攻していることがわかります。

 

●何が目的か

彼らは(訳注:民族主義者ら)、クリミアとセバストポリの住民が、自由な選択としてロシアとの再統合を選んだことを決して許さないだろう。

当然、彼らはクリミアに潜り込むだろう。
それこそドンバスと同じように。
戦争を仕掛け、殺すために。

大祖国戦争の際、ヒトラーの片棒を担いだウクライナ民族主義一味の虐殺者たちが、無防備な人々を殺したのと同じように。
彼らは公然と、ロシアの他の数々の領土も狙っていると言っている。
全体的な状況の流れや、入ってくる情報の分析の結果が示しているのは、ロシアとこうした勢力との衝突が不可避だということだ。

それはもう時間の問題だ。
彼らは準備を整え、タイミングをうかがっている。
今やさらに、核兵器保有までも求めている。
そんなことは絶対に許さない。

  • クリミア併合、ドンバス地方の独立が認められること
  • ウクライナの非核化
  • NATO非加盟(ロシアに敵対的な同盟の一国とならないこと)

が戦争目的のようです。

 

前にも述べたとおり、ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、新たな地政学的現実を受け入れた。
私たちは、旧ソビエトの空間に新たに誕生したすべての国々を尊重しているし、また今後もそのようにふるまうだろう。
それらの(訳注:旧ソビエト諸国の)主権を尊重しているし、今後も尊重していく。

他国を侵略して、主権の尊重というのは厚かましいように思えますが、ここでいう主権とは、ウクライナという国家の存在という意味でしょう。

ただ、私たちの計画にウクライナ領土の占領は入っていない。
私たちは誰のことも力で押さえつけるつもりはない。

同時に、ソビエト全体主義政権が署名した文書は、それは第二次世界大戦の結果を明記したものだが、もはや履行すべきではないという声を、最近、西側諸国から聞くことが多くなっている。

さて、それにどう答えるべきだろうか。

第二次世界大戦の結果は、ナチズムに対する勝利の祭壇に、我が国民が捧げた犠牲と同じように、神聖なものだ。
しかしそれは、戦後数十年の現実に基づいた、人権と自由という崇高な価値観と矛盾するものではない。
また、国連憲章第1条に明記されている民族自決の権利を取り消すものでもない。

ウクライナ全土の占領やロシアとの併合までは目的としていないことがわかります。

 

ウクライナ侵攻(戦争)はいつ、どう、終わるのか

ロシアの軍事力、防衛技術が優勢でなくなったとき、

ロシアが戦争目的を達成したときにに、ロシアのウクライナ侵攻は止まると考えます。

また、

  • クリミア併合、ドンバス地方の独立が認められること
  • ウクライナの非核化
  • NATO非加盟(ロシアに敵対的な同盟の一国とならないこと)

という戦争目的が達成されたときと言えます。

これがいつになるかは私はわかりませんが、

 

欧米諸国の強力な経済制裁が続けば、ロシアの軍事力、防衛技術の優勢が長くは続かず、かつ、ロシアが侵攻を停止、全面撤退(クリミア、ドンパス地方を除く)する条件で、ウクライナが現状(クリミア併合、ドンパス地方の独立、ウクライナの非核化、NATO非加盟)を追認するのはウクライナもそれほど悪い条件でないように思えます。

 

 

トルコ出身のエコノミストEmin Yurumazu (エミンユルマズ)氏は、

ソ連フィンランド戦争は今のロシア対ウクライナに極めて似ており、共通点が多いとしています。

ロシアの戦争目的は、

港湾、工業の重要地域であるロシアの第2の都市 サンクトペテルブルクレニングラード)に隣接するフィンランド地域の自国領土化でした。

外交交渉で、ロシアはフィンランド

といった内容を求めていましたが、1939年11月30日、ソ連は宣戦布告なしにフィンランド国境全域で侵攻しました。

国際世論は圧倒的にフィンランドを支持し、フィンランドからの提訴を受けて、12月14日に、国際連盟ソ連を除名しました。英米仏もフィンランドを支援していました。ドイツは、イギリス、フランスと戦争状態で、かつ、ソ連と不可侵条約を締結しており、中立の立場でした。

フィンランドウクライナソ連がロシアだとすると、当時のドイツと近い立場にあるのが、現在の中国でしょうか。

フィンランドは健闘し、4カ月戦いし、ソ連の損害も大きくなり、フィンランドソ連は講和します。4ヶ月間の戦闘で、ソ連軍は12万から20万人の戦死者、フィンランド側は、約2万7千名を戦死者を出しています。

 

1939年11月30日:ソ連フィンランドが侵攻。

1940年12月14日:国際連盟ソ連を除名。

1940年1月8日:スオムッサルミの戦いにフィンランド勝利。フィンランドの戦死者は1000名以下に対し、ソ連の戦死者は少なくとも1万名以上で、フィンランド軍の士気が上がる。

1940年2月1日:ソ連攻勢再開。

1940年2月29日:講和交渉再開・フィンランド第二の都市であり、首都ヘルシンキへの最後の防衛拠点であるヴィープリに対してソ連軍が侵攻。

1940年3月6日:停戦協定成立。

1940年3月12日:モスクワ講和条約フィンランドソ連の要求を受け入れて講和)。

 

フィンランド第二の都市であり、首都ヘルシンキへの最後の防衛拠点であるヴィープリに対してソ連軍が殺到しており、フィンランド政府も講和の選択肢しかなかったようです。

 

オデッサキエフといった主要都市が包囲、陥落直前になれば、ウクライナ政府も講和の選択肢をとるかもしれません。

 

また、ソ連が講和に応じた理由、侵攻を停止した理由として、春の訪れと共にソ連軍は森林地帯がぬかるみとなり、軍事行動が大きな制約を受ける、つまり、防衛側に有利となることもあったようです。

Rasputitsa(ラスプチーサ):雨や雪解けによる泥だらけの状態のために未舗装の道路や国中の旅行が困難になることを示すロシア語です。
ベラルーシ、ロシア、ウクライナの泥だらけの道路状況に適用されます。これは、この地域で見つかった下層の粘土を含んだ土壌の排水が不十分なために発生します

また、

冬将軍のように、泥将軍(どろしょうぐん)という言葉もあるようです。

泥将軍:雪解けや雨期などで地面がぬかるみ泥濘(でいねい)になった戦場。
軍隊に対して、下手な敵軍以上の損害を与える事から「将軍」と比喩される。

具体的には、泥でぬかるんだ土地を通行する事によって全ての陸上兵力に甚大な負担をかける事を指す。この負担は直接的に命を奪うものではないが、戦闘員の疲労兵站維持労力の増加は時に致命的になり得る。

 

気温が0度以上となる3月中旬ぐらいには、雪解けによる泥だらけの状態で、軍隊の移動や補給が難しくなる可能性があります。攻撃側に不利になると思います。

ロシアもそういつ事情もよく知っているでしょうから、3月中には停戦協定、講和条約を締結したいかも知れません。

ウクライナとしてては、オデッサキエフといった主要都市が包囲、陥落直前になる前、

ロシアとしては、経済制裁が続いてロシア経済に深刻な影響が出る前、Rasputitsa(ラスプチーサ)、泥将軍の前に、

つまり、両国とも3月中旬ぐらいに(このブログは3月7日に記載していますが、あと1,2週間後に)に停戦、講和の動きが具体的になるかもしれません。

 

 

■本の紹介

ウクライナ情勢やソ連フィンランド戦争に興味のある方に参考となる本をいくつか紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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