失敗し、苦境にいる人にこそ優しくしろ。業績が悪い時こそ投資しよう。

■はじめに

思うところがあって、株式投資を始めた経緯など紹介します。

興味のない人がほとんどだと思います。

素人の小説のような話です。

なお、ここで書かれている出来事、組織、人物などはすべて架空(フィクション)で、実在の存在とは一切関係がありません。


以下の話の続きです。

 

 

▼目 次

 

 

■情報システム部に異動した経緯

 

私の勤務先には、定期異動という制度はなかった。特に本人が希望しなければ、同じ部署で同じ仕事を続ける場合も多い。

私も希望をしていなかったで、経理部から異動する話を聞いた時には、少しびっくりした。

 

私の異動は、管理部門を統括する杉山専務から、提案があったらしい。

『山田君は真面目でコツコツ派だが、実は調整能力も高いと思う。
経理部も長いので、そろそろ異動してもいいだろう。
情報システム部で、その能力を発揮してもらいたい』

と異動の会議で、声があったことを上司から聞いた。

 

実際には、私の将来を見込んでというより、情報システム部に欠員ができて、誰が適任かという話の流れで、私に白羽の矢がたったらしい。

 

最初から、専務が私を推薦したのか、私に決まった後、追認するための発言なのか、よくわからない。おそらく、後者なので、そんなに自慢できることではない。

ただ、上司の上司の上司ぐらいの立場の人に名前を憶えてもらっていて、少しは評価されていると思うと嬉しかった。

 

 

■専務から評価された理由

 

私の調整能力が高いと専務が評価したのかはわからない。

 

強いて、あげるといえば、
私が入社直後に携わった勤怠時間管理システムの導入プロジェクトの話だ。
私は経理部の担当として関わった、

 

勤怠時間管理システムのデータを予算管理システムで取込、勤怠時間の実績を管理して、時間外給与の見込みなども管理できるようにしたいという要望が営業部門や経理部からあり、私が経理部の担当として、関わることになった。

 

双方のシステムに言い分があり、連携することは課題で、最終的に実現できなかった。
『ちょっとした思い付き、できれば便利かも。』といった程度の要望で、実現できなくても困らないような話だった。

 

私は、御用聞き、伝書鳩のようにいろんな人の意見を伝えて、動きまわり、その意見を集約した。

私は、杉山専務の参加する会議で、経緯を資料にまとめて、『必須の機能でないので、不要です。』と発言した。私は緊張していて、語気が強かったのか、会議の参加者の何人か少し不快におもったかもしれないと思った。
その場で、杉山専務が『半沢直樹みたいで、はっきり言って、かっこいいね。後、(不要だという結論を)いろいろ調べてくれてありがとう。』と周りの笑いをとって、場がなごんだ思い出がある。

 

この時の話を専務は、調整能力が高いと感じたのかもしれない。今度、機会があれば直接、聞いてみたい。

 

 

 

■杉山専務の口癖

 

杉山専務の口癖は、

『失敗し、苦境にいる人にこそ優しくしろ。
 業績が悪い時こそ投資しよう。』

だった。

 

この口癖の後は、だいたいこんな話をする。

 

『失敗し、苦境にいる人にこそ優しくしろ。』と思うようになったのは、私がこの会社との縁からだ。

2002年、私が37歳の時に、前の会社をリストラの一環で、自主退職することになった。
退職時に退職金もらえるだけでもありがたく思えといった雰囲気で、会社に文句を言えるような状況でなかった。

 

りそなショックといわれるように銀行も経営破綻し、日経平均は7000円にまで下がり、景気はどん底で明るい兆しもなにないときだったから、転職も苦労した。

面接は、「あなたが本当に即戦力か、会社に売上、利益で貢献できるか。」と高圧的と思われるものが多かった。どこの会社も余裕がない時だったから、採用する側も失敗が許されない。
私が高圧的だと感じたが、採用する側のそんな緊張感が伝わったからだろう。

 

ただ、今の会社だけは
「なかなか転職先が決まらないと焦るだろうから、採用の内示はするよ。」
「もちろん、入社するかしないあなた次第だけど、落ち着いて、後悔しない転職活動するといいよ。」
と採用の面接担当であった社長から、面接時に優しい言葉をかけられ、内定をもらった。

(その頃は従業員が200名程度で、社長が直々に面接するのが通常で特別扱いされたわけでもないらしい。)

 

ホームレスをみかけると、自分もそうなるのかと思ったほど、
不安の中で転職活動していたので、本当に嬉しかった

 

その後、何社か内定をもらったが、待遇など他の会社のほうがよかったが、最終的に、この会社のお世話になることを決めた。

 

『業績が悪い時こそ投資しよう。』
というのは、私が前の会社の経験からだ。

 

前の会社では、半導体工場で働いていた。

 

業績が悪い時は、経費削減で、投資ができなかった。
サムスンなど韓国は逆だ。業績が悪い時こそ、投資する。

 

私たちが、不況で、エレベーターの使用禁止、昼間の消灯、出張の禁止などで年間1000万円のコストを削減しようとしているとき、サムソンは1000億円投資し、最新鋭の生産設備を増強した。

 

景気がよくなり、サムスンは、需要にこたえて、売上が倍増し、高い利益を実現した。
景気が良くなったら、私たちは顧客の注文にこたえられない。
顧客はサムスンに流れた。

 

顧客の注文に応えようと慌てて、設備投資した。

 

気心の知れた生産設備の営業担当者から、

サムスンは私たちが苦境のときに、たくさん注文してくれた。
日本の会社その逆。苦境のときに、注文をキャンセルする。
そんな会社から、景気がよくなって、手のひら返されて、たくさん注文されても。

生産キャパもないし、またキャンセルされたらと思うと、積極的に受注できない。」

と嫌味をいわれたことがある。

 

そんな営業担当に頭を下げてお願いして、納期を速めて、大急ぎで設備を増強して、やっと顧客の注文を満たせると思ったら、また、次の不況で、価格が下がり、注文は減り、大赤字だ。

リストラが始まり、私はクビになった。

 

業績がよくなってから投資しても、ライバルには勝てない。

会社は単年度の利益でなく、将来の利益、長期的な利益が大事だ。
将来の利益、長期的な利益のためには、単年度の利益は犠牲にしてでも、必要な投資はするべきだ。

 

という話である。

 

私も会議の席上1回、飲み会の場で1回と計2回ほど聞いたことがある。

半期ごとの予算編成会議など重要な会議に、この話をよくするらしく、
何回聞いたか、わからない人も多いらしい。

 

専務は、一営業社員として入社後、課長、部長、役員として順調に昇進した。
立場が変わっても、入社以来一貫して、
『失敗し、苦境にいる人にこそ優しくしろ。
 業績が悪い時こそ投資しよう。』
といって、成果を残してきた。

だから、「耳にタコができる」と不満を言う人はいない。

 

不況のときに、在庫の確保、物流設備の増強や社内システムの刷新、採用の強化を、社内の多くの反対にあいながらも実行して、好況時、そういった投資が花を開いたらしい。

 

情報システム部に異動後、経理の知識を生かして、私が株式投資をしようとしたとき、専務の口癖を株式投資に生かそうと思った。

 

『失敗し、苦境にいる人こそ優しくしろ。
 業績が悪い会社にこそ投資しよう。』

と。

 

なお、専務がリストラになった2002年は、橋本内閣の緊縮財政と同じ失敗を小泉内閣がしたときです。

 

■関連ブログ

以下のブログは、杉山専務の口癖から着想を得て、作成したブログです。

 

 

 

■本の紹介

このブログを読んだ方(ブログの中で紹介し本も含む)が興味を持ちそうな本をいくつか紹介します。

 

 

不本意な敗戦 エルピーダの戦い

不本意な敗戦 エルピーダの戦い

Amazon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読んで頂き、ありがとうございました。

誤字脱字、乱文雑文、すいません。

素人が趣味で書いているブログですので、その点、情報の正確性などご容赦ください。

 

 

以 上です。