『洪思翊中将の処刑』-第5章 虚構の応酬-を読んで

洪思翊中将の処刑 山本七平 著を読みました。その抜粋、要約、所感、関連する話題など紹介したいと思います。今回は「第5章 虚構の応酬」についてです。

この章では、洪思翊中将の処刑理由を、虚構の応酬として、取り上げています。

 

洪思翊中将の処刑

洪思翊中将の処刑

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■前回のブログ記事

 


 

 

ジュネーブ条約

太平洋戦争時、捕虜の取扱いに関する国際条約には、1907 年 10 月 18 日にオランダ
のハーグで調印された「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」(陸戦条約)と 1929 年7月 27
日にスイスのジュネーブで調印された「俘虜ノ待遇ニ關スル條約」(俘虜待遇条約)がありました。

日本は両条約に署名しているが、批准は陸戦条約のみである。俘虜待遇条約の批准は
軍部の反対によって見送られました。

その時の海軍の反対理由が残されています。理由は4つありますが、興味深いです。

一、帝國軍人ノ觀念ヨリスレバ俘虜タルコトハ豫期セザルニ反シ外國軍人ノ觀念ニ於
テハ必シモ然ラズ從テ本條約ハ形式ハ相互的ナルモ實質上ハ我方ノミ義務ヲ負フ片
務的ノモノナリ
二、俘虜ニ關スル優遇ノ保證ヲ與フルコトトナルヲ以テ例ヘバ敵軍將士ガ其ノ目的達
成後俘虜タルコトヲ期シテ空襲ヲ企圖スル場合ニハ航空機ノ行動半徑倍大シ帝國
トシテ被空襲ノ危險益大トナル等我海軍ノ作戰上不利ヲ招クニ至ル虞アリ
三、第八十六條ノ規定ニ依リ第三國代表ガ立會人ナク俘虜ト會談シ得ル點ハ軍事上支
障アリ
四、本條約ノ俘虜ニ對スル處罰ノ規定ハ帝國軍人以上ニ俘虜ヲ優遇シアルヲ以テ海軍
懲罰令、海軍刑法、海軍軍法會議法、海軍監獄令等諸法規ノ改正ヲ要スルコトトナ
ルモ右ハ軍紀維持ヲ目的トスル各法規ノ主旨ニ徴シ不可ナリ4

一、は、日本軍は捕虜にならず、相手国の軍人だけ捕虜になり、捕虜を待遇するのは負担、片務義務であること

というものです。

二、は、敵の航空機が帰還を考えずに攻撃し、降伏し、捕虜になるような作戦を考えると敵飛行機の航続距離が2倍となること、

三、捕虜が外部の者と面談し、軍事機密が漏れる可能性があること、

四、俘虜待遇条約の懲罰規定よりも日本軍の懲罰規定のほうが厳格であるため、前者に合わせるには、後者の罰則を軽減しなければならず、そうすると軍紀が緩む恐れがあること。

と言った理由からです。

 

四番目の理由から、ジュネーブ俘虜待遇条約(以下、ジュネーブ条約と略)を適用した捕虜より、日本軍の軍人の方が待遇、規律が厳しかったことがわかります。

海軍より陸軍の方が待遇、規律が厳しかったと言われるので、陸軍も同じでしょう。

 

太平洋戦争当時、日本にはジュネーブ条約の「準用」(apply mutatis mutandis)すると交戦国に宣言していました。
東條英機首相兼陸相(当時)が、戦後、極東国際軍事裁判東京裁判)に提出した宣誓供述書によれば、
「準用」という言葉の意味は帝国政府においては自国の国内法規および現実の事態に即応するように条約に定むるところに必要なる修正を加えて適用するという趣旨ということです。

 

国内法規および現実の事態に応じて、できるだけ適用するように努力すると、交戦国に約束していたことになります。

 

自国の兵隊以上の待遇を、敵国の捕虜に与える難しい状況にあったといえます。

今の言葉でいうと、無理ゲーと言われるような状況だったのかもしれません。

 

ジュネーブ条約違反に伴い絞首刑(銃殺より重い罪とされる)とされました。

食糧など物資不足から捕虜に十分給養できなかった責任を問われ

捕虜収容所の責任者として、捕虜待遇に関する監督責任を問われたのです。

ジュネーブ条約の違反に伴い絞首刑(銃殺より余もい罪とされる)とされたのですが、果たして、彼に絞首刑にあたるほどの罪があったのかというと、全くなかったのではと私は思いました。

 

▼日本の捕虜取扱いの背景と方針 - 防衛研究所

http://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2007/forum_j2007_08.pdf

 

↑のWikipediaでも、洪思翊(こうしよく)氏の出自や経歴など概要は知ることができます。

■捕虜開放の事実

捕虜開放の過程など、著書の中で山本七平氏が推測しています。

事実として、日本軍は、捕虜を逆用しての人質作戦も、ナチスのように、日本兵一人が殺害されたら報復として捕虜を十人殺すといったような処置をせず、日本軍は捕虜を解放しました。

捕虜を安全かつ無傷でアメリカ軍の手に引き渡すべく、努力し、そうしたのです。

 

もちろん、洪思翊中将の単独の判断でなく、軍司令部(フィリピン日本軍の山下総司令官)から命令ですが、この命令自体が、洪思翊中将の働きかけがあったはずと山本七平氏は推測してます。

この命令の実行を遅滞したことも、責任を問われていますが、軍司令部とともに、戦場の中で安全に引き渡すタイミングを見計らって、結果的に安全に引き渡したのです。

 

武藤参謀長の証言(裁判記録)から

ルソン作戦に関連してすぐ起ったのは、俘虜および抑留者の措置であった。(1944年)十二月中旬に於ける俘虜は約一三〇〇名で、カバナツアンに五〇〇名、オールドビルビッドに四七〇名、ポート・マッキンレーに三〇〇名いた。抑留者は約七〇〇〇でサントトーマス大学(マニラ)に約四〇〇〇名、ロスバニュースに約二五〇〇名、バギオに四七〇名が収容せられていた。

●ポート・マッキンレー、バギオを1944年12月にマニラに移す。

●カバナツアンの捕虜は1944年12月7日に解放。

●ロスバニュースの捕虜は1945年2月中旬に開放。

●サントトーマス大学(マニラ)の捕虜を1月下旬に解放

といった事実があり、戦犯裁判でもこの事実を否定されていないようです。

自分達の明日の食料、生死も確かでない日本軍が、十分なものではなかったと思いますが、命を確保できるだけの捕虜の食料を確保し、安全に無傷に捕虜を解放したことは事実です。

捕虜の待遇に加えて、こういった解放を遅滞、邪魔した責任がとわれたようですが、山本七平氏(フィリピンに従軍)は、当時の状況から、最大限捕虜の安全、生命に努力し、実際に準備した結果であると洪中将を擁護しています。

 

■皮肉

考えてみれば皮肉である。検察側が自己の主張の正当性を裏づけるべく登場させた証人たち、法廷で洪中将を告発した多くの証人、かつての捕虜・抑留者は、自分がその人の処置によって生き、それによって今この法廷に立ちうるのだということも知らずに、自分たちを無事に米軍に引き渡すべくあらゆる努力をしたその人を絞首台に送るべく、一心に告発しているのであった。

 

イエス・キリストはらい病の患者10人を癒しましたが、感謝の意を表明したのはその中の一人だけでした(ルカによる福音書)。 

生き延びた捕虜に、洪中将に感謝した人はいなかったのか、いたけど、そういった声で判決は変わらなかったのか、まだわかりません。本を読んでいく過程でわかるかも知れません。

 

皮肉というより、悲劇に近い話かと思いますが、人というのはそういう存在なのかもしれません。

 

道は開ける (デールカネーギー著作)にも、恩知らずに気にするな、他人の感謝に期待していはいけないという話が紹介されています。 

▼「道は開ける」に関するブログ

 

 

 

 

 

●有名な刑事弁護士を経て判事となったサミュエル・レイボウィッツ氏は、78人の人々を電気椅子から救った。しかし、そのうちの一人として、彼に感謝の意を示すことはなかった。

USスチール社の初代社長であるチャールズ・シュワッブは、銀行の公金を横領して株式相場に注ぎ込んでいた銀行の出納係を助けた。結果、その男は刑務所行きを免れた。シュワッブが金を立て替えてやったからだ。その出納係は、当初は感謝したけれども、やがてシュワッブに反抗的となり、陰口を言っては自分の刑務所行きを救ってくれた男を非難するようになった。

●鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの場合は、彼は親戚に100万ドルをあげたのに、その親戚は、「カーネギー老人は慈善事業に3億6,500万ドルも寄付したのに、自分にはわずか百万ドルのはした金しかくれなかった」と悪口を言った。

 と言った話が『道は開ける』から、「平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法」「恩知らずを気にしない方法」と言った章で紹介されています。

 

 

 

■本について改めて紹介

洪思翊中将の処刑 | 山本七平 著Amazon Kindleでも楽天 Koboでも読書可能です。

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■冤罪に対し、なぜ弁明もせず絞首台に上ったのか?日本・朝鮮・米国の歴史に翻弄されつつも、武人らしく生きた朝鮮人帝国陸軍中将の記録。洪思翊は、大韓帝国最後の皇帝に選抜されて日本の陸軍中央幼年学校に入学、(朝鮮王家以外では)朝鮮人として最高位の中将にまで出世した人物である。


しかし終戦直後から始まったフィリピン軍事裁判で、フィリピンの捕虜の扱いの責任を一方的に問われ、死刑に処せられた。太平洋戦争に従軍した山本七平が、
・洪思翊中将が、アメリカをはじめとする連合国の軍事裁判の横暴さに対して、なぜ弁明もせず絞首台に上ったのか。
・そもそも生活に困っていたわけでもない朝鮮人エリートが、なぜ日本軍に入ったのか。
・「忠誠」とは何か。
について問うノンフィクション。

 

■「あとがき」からの抜粋
だが、彼ら(アメリカ)にとってはこれが「事実」で、判決は同時にこの事実の確定なのである。ではこの「語られた事実」は果して「事実」なのか。ミー弁護人のいう「時の法廷」が裁くのはこの点で、裁かれているのはアメリカであろう。そしてこの「時」を体現していたかの如く無言で立つのが洪中将である。こういう視点で読むと、四十年前に行われたこの裁判はきわめて今日的であることに気づく。

 
■著者 山本七平(やまもと・しちへい)
評論家。ベストセラー『日本人とユダヤ人』を始め、「日本人論」に関して大きな影響を読書界に与えている。1921年生まれ。1942年青山学院高商部卒。砲兵少尉としてマニラで戦い補虜となる。戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。1970年『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。日本文化と社会を批判的に分析していく独自の論考は「山本学」と称され、日本文化論の基本文献としていまなお広く読まれている。1991年没(69歳)。

  

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