洪思翊中将の処刑 山本七平 著を読みました。その抜粋、要約、所感、関連する話題など紹介したいと思います。今回は「第6章 戦犯法廷」についてです。
この章では、 戦犯法廷の証拠採択の問題点を、取り上げています。
■前回のブログ記事
■戦犯裁判
日本軍人への米国の戦犯裁判は、「復讐」と思われないように、法的な正当性、特に手続き上の正義と言った点をよく考えた裁判だったようです。
日本国憲法で規定されるような近代刑事裁判の特徴である。
●公開裁判であること
●審問する機会が与えられ、証人を求める権利
●弁護人が弁護すること。
が実施されていました。
日本国憲法 第三十七条
すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
② 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
③ 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
極東軍事裁判(東京裁判)のおうに、おそらく、結論ありきの裁判と思われないように、手続き上の正当性、形式性に配慮したのかもしれません。
近代的な刑事裁判は、無罪推定が原則で、求刑する側、検察側が犯罪を証明する必要があります。刑事裁判で有罪方向の事実の認定するためには、「合理的な疑問を残さない程度」の証拠を検察官が提出して、証明しなければならないとされています。
心にとめておきたい4つのこと | 裁判員制度 | 日本弁護士連合会
で、刑事裁判で、裁判人に心にとめておきたい4つこと、近代裁判の原則といわれることを紹介しています。
その中の一つに
裁判員は、『法廷に現れた証拠だけにもとづいて判断』とあります。
■ ニュースや新聞記事
裁判員候補者名簿にのった段階では、事件に関するニュースや新聞・雑誌あるいはインターネット記事などを普段と同じように見ることは何らさしつかえありません。しかし、裁判員として具体的な事件を担当する段階では、注意が必要です。刑事裁判では、ニュースなどで見たことではなく、あくまで法廷に出された証拠だけにもとづいて判断しなければならないからです。
裁判員に選ばれた後は、法廷で見聞きした証拠だけに集中することが大切です。
とあります。
つまり、法廷での採用される証拠で、有罪か無罪か決まるので、どのような証拠を採用するか基準が大事だと言えます。
その証拠採択基準に問題があったようです。
他の手続がすべてまことに合法的かつ人道的であっても、証拠採択の基準が公正を欠くなら、すべては「手続上の正義」という虚構の「装置」にすぎなくなる。では、軍法委員会の証拠採択はどのような基準で行われていたのであろうか。
と言った疑問を山本七平氏は呈しています。
↑のWikipediaでも、洪思翊(こうしよく)氏の出自や経歴など概要は知ることができます。
■絞首台への必然性
「絞首台への必然性」というタイトルの章ですが、タイトルからして、洪思翊中将の処刑が決まった裁判の問題点を山本七平氏が説明しています。
連合国総司令部 戦犯裁判に関する法規
D証拠
(6)被告がいたのは公的地位であるということは免責の理由にならず、罪刑の軽減を考慮することにもならない。さらに被告が、この上級者あるいは政府の命令に服従していたということは、何ら弁護にはならない。
洪中将の指示でも意向でもなく、日本国の法律乃至は政府・軍の方針で、彼が公的地位にある者として当然それに従っていただけだという主張もはじめから認めないと言うなら、その位置におかれていた者は、それが日本人であれ韓国人であれ、もはやいかんともしがたいと言わねばならない。
(明確な思想も権限、計画もなく、戦争に突入した日本の問題点に触れ)
そして虐待事件として問われたものは、バターンの死の行進であれ、洪中将が問われた鴨緑丸事件であれ、〝無謀かつ残虐〟なトラック輸送であれ、それらは、計画的犯罪というよりむしろ無計画性の表われであり、同時に現在ですら「殺人ラッシュ」の電車を異としない民族性の表われのようなものであろう。妙な言い方になるが捕虜を「ラッシュ時の国鉄(現JR)的輸送感覚」に扱えば、みな戦犯になってしまう。
つまり、当時の法律、軍規、職務に忠実だったなんら違法性もないことが、つまり、遵法したことが違法の証拠になるような裁判になってしまうのです。
「私は貝になりたい」といった映画で描かれた上官の命令に従っただけの豊松の悲劇も、生まれた背景も、こういった裁判の証拠のルールにあったのでしょう。
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■本について改めて紹介
洪思翊中将の処刑 | 山本七平 著はAmazon Kindleでも楽天 Koboでも読書可能です。
■冤罪に対し、なぜ弁明もせず絞首台に上ったのか?日本・朝鮮・米国の歴史に翻弄されつつも、武人らしく生きた朝鮮人・帝国陸軍中将の記録。洪思翊は、大韓帝国最後の皇帝に選抜されて日本の陸軍中央幼年学校に入学、(朝鮮王家以外では)朝鮮人として最高位の中将にまで出世した人物である。
しかし終戦直後から始まったフィリピン軍事裁判で、フィリピンの捕虜の扱いの責任を一方的に問われ、死刑に処せられた。太平洋戦争に従軍した山本七平が、
・洪思翊中将が、アメリカをはじめとする連合国の軍事裁判の横暴さに対して、なぜ弁明もせず絞首台に上ったのか。
・そもそも生活に困っていたわけでもない朝鮮人エリートが、なぜ日本軍に入ったのか。
・「忠誠」とは何か。
について問うノンフィクション。
■「あとがき」からの抜粋
だが、彼ら(アメリカ)にとってはこれが「事実」で、判決は同時にこの事実の確定なのである。ではこの「語られた事実」は果して「事実」なのか。ミー弁護人のいう「時の法廷」が裁くのはこの点で、裁かれているのはアメリカであろう。そしてこの「時」を体現していたかの如く無言で立つのが洪中将である。こういう視点で読むと、四十年前に行われたこの裁判はきわめて今日的であることに気づく。
評論家。ベストセラー『日本人とユダヤ人』を始め、「日本人論」に関して大きな影響を読書界に与えている。1921年生まれ。1942年青山学院高商部卒。砲兵少尉としてマニラで戦い補虜となる。戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。1970年『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。日本文化と社会を批判的に分析していく独自の論考は「山本学」と称され、日本文化論の基本文献としていまなお広く読まれている。1991年没(69歳)。
読んで頂き、ありがとうございました。
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