『神は存在するか、しないか。』パスカルの賭けについて松川るい氏の誤解

数学者パスカルの神の賭けの論理『神は存在すると思って行動すべき』と同様に『日本だって感染爆発させたらイタリアやイギリスみたいになるから対策を』という自民党参議院議員 松川るい氏の主張(2020年4月当時)が、非論理的すぎて宗教的だと思いました。

パスカルの賭け「神は存在するか、しないか。という賭けに対して、神は存在するに賭けるべき」というパスカルの論理を松川るい氏は誤解しているような印象を受けました。

松川るい氏の主張

まず、松川るい氏のブログの引用です。

f:id:chanmabo:20200822105908j:plain

2020年04月14日投稿 松川るい氏のブログより

----------

先が不明な時はパスカリストになるべきだ。パスカルは、「神は存在するかどうか」という命題について、「神がいるとすれば、善行を積むこと。天国にいける。神が仮にいなかったとしても、善行を積むことはマイナスにはならない。したがって、神がいるかどうかわからない場合の合理的行動は、神が存在すると思って行動することだ」という趣旨を述べている。

日本は、医療水準も一般公衆衛生レベルも世界最高水準、病床数も世界一だが、感染症対策可能な病床数でいえば日本はイタリアの半分だ。コロナに限っていえば医療キャパは大して高くない。今日もニュースで各地の院内感染が報告されている。感染があった病院はしばらく閉めたり、感染したり濃厚接触の医師スタッフは当然隔離になる。医療崩壊は始まりつつある。

BCG打ってるからとか、距離間ラテンじゃないからとか、実は人種的に強いとか、いろんな日本の特殊性により、「日本は感染爆発しない」とか「感染爆発しても重症化しにくいとか死亡しにくい」説については確証がない以上、「日本だって感染爆発させたらイタリアやイギリスみたいになる」と思って対策することが必要だ。

-------------

 

無限(大)か有限か、それが選択において重要だ

パスカルの賭けの論理は、無限(無限大)と有限のものとの比較でしか利用できません。

松川るい氏の出張は、一見、最もらしく聞こえますが、数学者パスカルの論理的な思考とはかけ離れた非論理的な思考だなと感じました。

パスカルの主張は、神を信じることの「無限」(無限大)のメリットは、信じないこと「有限」のデメリットより大きい、つまり、信じた方がリスクが少ない。ということです。

神がいる方に賭けて、善行を積んで、死後に天国、地獄があり、天国では永遠に幸福、快楽、地獄では永遠に不幸、苦痛という状況があるとすれば、メリットは無限(大)です。
神がいる方に賭けて、善行を積むこと(教会で礼拝したり、宗教的に正しい行動すること)は、他にやりたいことができないなど、デメリットは人が想定できる範囲で、有限です。

緊急事態宣言の新型コロナウイルス感染防止の対策のメリットが「無限」で、デメリットが「有限」なら、パスカルの論理と同様に、松川氏の主張も論理的です。

しかし、
緊急事態宣言の新型コロナウイルス感染防止の対策のメリットを、
「日本だって感染爆発させたらイタリアやイギリスみたいになる」事態を防ぐというのであれば、そのメリットは有限です。

を、厚生労働省クラスター対策班西浦教授
新型コロナウイルスの感染防止策を何も行わなかった場合、流行が終わるまでに国内で約85万人が重篤な状態となり、半数の約42万人が死亡するとの推計』通りになったとしても、そのデメリットは
人が想定できているという時点で、その被害は有限であり、対策のメリットも有限です。

つまり、メリットも有限、デメリットも有限なのに、パスカルの論理を用いて、
「神がいるかどうかわからない場合の合理的行動は、神が存在すると思って行動することだ」だから、
新型コロナウイルスで医療を崩壊させる可能性があれば、新型コロナウイルスの感染防止の徹底的な対策をとるべき。その対策はマイナスになならい。」といった主張をしているのが驚きました。

新型コロナウイルスの脅威が未知であり、リスクが極めて高く、緊急事態宣言の新型コロナウイルス感染防止の対策のメリットが無限大とするなら、
新型コロナウイルスの対策も、感染症対策の緊急事態宣言が、日本で初めて発動されたのですから、
未知な部分が多くそのデメリットも無限大とするべきでしょう。

つまり、
メリットも有限、デメリットも有限という場合の比較
メリットも無限大(の可能性)、デメリットも無限大(の可能性)という場合の比較に、パスカルの論理は適用できないということです。
そのような比較で、「神を信じるように」と主張するのは、非論理的な宗教的な主張でしかありません。


責任のある与党の政治家でも

野党の仕事の一つは、政権批判で、新型コロナウイルス感染症の被害を針小棒大に伝え、政府の対策を批判するのは仕方がないとあきらめることができますが、
責任のある与党の政治家が、非論理的な宗教的な主張をしていたのが、非常に残念に思いました。

内閣府が8月17日発表した2020年4~6月期の国内総生産GDP)速報値は、物価変動の影響を除いた実質の季節調整値で1~3月期からマイナス7.8%、年率換算でマイナス27.8%と悪い数字となりました。新型コロナウイルスの感染拡大で、リーマン・ショック後の09年1~3月期の年率17.8%減を超える戦後最大の落ち込みです。

緊急事態宣言で、4半期のGNPの数字が示しているように、少なくとも経済的に大きなマイナスになっていますが、それは善行を積むことと同じようなレベルの許容できるデメリットといえるのでしょうか。

なお、緊急事態宣言中、その前後は、松川るい氏のように、
新型コロナウイルス感染防止の対策は、その対策が過剰でもメリットは無限大で、デメリットは有限という主張が多かったように思います。
決して、松川るい氏だけを非難したいのですが、緊急事態宣言のデメリットも考慮せずに、感染防止のための過剰とも思える対策を煽るような風潮だったことを問題視したいのがこのブログの主旨です。

パスカルの賭けの例

パスカルの神の論理が適用される例としては株の信用売(空売)の危険性です。

株の信用取引で信用売(空売)が信用買より危険と言われる論理は、
パスカルの神の賭けの論理と同じです。

株価1,000円の会社の株を信用売りした場合、つまり、株価が下がると利益、株価が上がると損失に賭けた場合、
その会社の株が
10倍の10,000円になる可能性もあれば、
100倍の100,000円になる可能性もゼロではありません。
しかし、株価が下がっても0円で、マイナスになることがありません。

これは、メリットは有限だが、デメリットは無限大になる可能性がある。ということです。
「神がいるかどうかわからない場合の合理的行動は、神が存在すると思って行動する」ように、「株価が上がる下がるかわからない場合の合理的行動は、株価が上がると思って行動すること、つまり、信用売(空売)は危険だ」という主張は、パスカルの論理と同様に論理的です。

 パスカルの神の賭けなど、数学的な論理を分かりやすく学べる本

『マンガ - コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし 』(中公新書ラクレ) 新書  タテノカズヒロ (著) を紹介しておきます。

 

 

 

chanmabo.hatenablog.com

 以上です。