半沢直樹の自殺した牧野副頭取のモデルは元第一勧業銀行頭取宮崎 邦次氏か

 

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、苦闘を、

西川氏の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介してきましたが、今回は話題を変えて、ドラマ半沢直樹Ⅱ2020年版で登場する自殺した牧野副頭取をイメージさせる元第一勧業銀行頭取・会長宮崎 邦次(みやざき くにじ)氏の話を紹介します。なお、第一勧業銀行は、みずほ銀行の前身の一つです。

 

自殺した牧野副頭取の写真_半沢直樹より

自殺した牧野副頭取の写真_半沢直樹より

牧野副頭取の遺書と宮崎元頭取の遺書

『牧野副頭取は、宮崎元頭取をイメージしているのかも。』と思ったのは、遺書の内容がよく似ているのです。

半沢直樹の原作、

ドラマ「半沢直樹」原作 銀翼のイカロス: 2020年7月スタートドラマ「半沢直樹」原作 : 池井戸 潤:

での牧野副頭取の遺書の一部分を紹介します。

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銀行の諸君、長きにわたり、お世話になった。

銀行という職場で、日々業務に邁進できたのは、皆さんのご指導、ご鞭撻(べんたつ)のお陰だ。与えられた職務を途中で放り出すことは、慚愧に耐えない。

だが、あまりにも私は疲れてしまった。

新銀行の将来が、夢と希望の光に満ち溢れんことを、心から祈念する。

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ちなみに、原作では、自殺した牧野は合併前の旧東京第一銀行の頭取、中野渡は旧産業中央銀行の常務という設定です。この点、ドラマでは牧野は旧東京第一銀行の副頭取で、合併後もそのまま副頭取の役職を引き継ぎ、かつ旧東京第一銀行時代の中野渡は、牧野の部下だったという設定となっています。

 主人公の半沢直樹は、ドラマでは産業中央銀行出身ですが、小説では、東京中央銀行出身です。ドラマと原作の小説の違いはたくさんありますので、ドラマを楽しめた方は、小説も楽しめると思いますので、その違いを探すしたりして楽しめるので、小説もお読みなるといいかなと思います。

銀翼のイカロス (文春文庫) | 潤, 池井戸 |本 | 通販 | Amazon

 

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

続けて、宮崎元頭取の遺書の一部分を紹介します。

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真面目に働いておられる全役職員そして家族の方々、先輩のみなさまに
最大の責任を感じ、
且つ、当行の本当に良い仲間の人々が逮捕されたことは、
断腸の想いで、
六月十三日相談役退任の日に、
身をもって責任を全うする決意をいたしました。
逮捕された方々の今後の処遇、
家族の面倒等よろしくお願い申し上げます。
スッキリした形で出発すれば
素晴らしい銀行になると期待し確信しております。
永年のご交誼(こうぎ)に感謝いたします。 宮崎

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 『第一勧業銀行総会屋利益供与事件』の発覚で、東京地検から厳しい事情聴取を受けた後、1997年6月29日に宮崎邦次元頭取(67歳)は自殺しました。

映画にもなった小説 

呪縛(上) 金融腐蝕列島II (角川文庫) | 高杉 良 |

 

は、第一勧業銀行総会屋利益供与事件をモデルにしていると言われています。

 Amazon.co.jp: 金融腐蝕列島呪縛を観る | Prime Video


ドラマでは、死後も牧野副頭取は、死後も長きに渡って、関係者から悼まれる尊敬される人格者として描かれていますが、宮崎元頭取もそんな人だったようです。

 

いくつか逸話を紹介したいと思います。

宮崎元頭取の逸話

会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証 (ノンフィクション・シリーズ“人間” 7)  

で紹介された逸話を紹介します。ちなみにこの本は、「清武の乱」のエピソードで有名な元読売巨人軍球団オーナーが新聞記者時代に取材、記事にした内容がもとになっています。

 40歳代の宮崎氏が東京の支店勤務時代に訪れた友人は、勤務時間が終わっても1人で掃除を続ける宮崎の姿を覚えているとう話や
 頭取就任の挨拶回りで出身旧制高校の朝食会に招かれたときは、主賓席を「いやいや、とんでもありません」と逃げ回り、下座にいる幹事の隣に座ってしまった。記念撮影のときにも、中央に設けられた席を避けて、一番端に行ってしまったという話が紹介されています。

 

 

 

四半世紀以上の付き合いがあったといわれる藤原作弥氏(ノンフィクション作家で日本銀行副総裁)もその著書

攻守ところを変えて―日銀副総裁になった経済記者 

の中で、『失礼ながら当初は、と頭取、会長に上りつめる人物とは思っていなかった。
才気煥発でもなく慇懃無礼でもなく、いわゆるエリート行員とは反対の極の人だった。
赤ら顔の武骨な風貌、朴訥とした九州弁、謙虚で誠実な態度、温和・円満な性格、そうした清廉な人間像を知る人はみな認めている。』と語っています。

 

 

第一勧業銀行による総会屋への利益供与事件が発覚しており、事件の裏に暴力団と第一勧銀の長年の関係があると言われていた。事件の鍵を握る人物として、東京地検の取り調べを受けていた。自殺の前日にも取調べがありました。

宮崎氏の利益供与事件が自殺の原因の一つだったことは否定できませんが、自殺しなければならぬほどの事情が何だったのか、真相はいまでも謎に包まれています。

 

1991年10月発行の週刊ダイヤモンドのインタビューで宮崎氏は、

『銀行が当然のこととして自覚すべき公共性、社会的使命が、末端まで徹底されていなかったと自戒しなければならないと思っている。異常な金融緩和による資金余剰という、運用先を探すためにいろんな工夫をしなければならない背景はあったが、そうした環境変化を乗り越えていく倫理性を、もう一度徹底する努力をしていかなければなりません。』と語っています。

 

銀行の責任、倫理を強く意識していた責任感の強い宮崎氏は、銀行の不正に関わった責任を自分の一身に背負い、その責任を全うする思いで自殺したのかもしれません。

宮崎氏のご冥福をお祈りします。

 

以上です。