リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。
どんな活躍をしたのか、彼の回顧録
に従って、紹介しています。
今回は、『第六章 日本郵政社長の苦闘』の中での、日本郵政社長としての苦闘、章のタイトルの通り、西川氏も相当、苦労したことがわかります。
ドラマ半沢直樹でも、半沢直樹が東京セントラル証券に出向して、東京セントラル証券の社員の仕事や意識を大きく前向きに変えました。
『「勝ち組」「負け組」という言葉がある。私はこの言葉が大嫌いだ。(中略)
どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って日々奮闘し、達成感を得ている人のことを、本当の「勝ち組」というんじゃないかと俺は思う。』
といった半沢直樹が東京セントラル証券を去る送別会の時に負け組といわれていた東京セントラルの社員への言葉が話題になりました。
西川氏は、どのような言葉を日本郵政に残し、どのように日本郵政を変えたのでしょうか。
どこに顔を向いて仕事しているのか
2006年1月に、西川氏は日本郵政社長になります。
日本郵政の実態を知り『どこに顔を向いて仕事しているのか。』と嘆くことが多かったそうです
一つのエピソードとして、日本郵政の始業時間を9時30分からで、郵便局の現場の始業は9時なのに、なぜ、本社の始業時間が遅いのか、疑問に思ったところ、遅くしている理由は、行政機関によるオフピーク通勤の促進のためだったそうです。実際に日本郵政の始業時間を早めたかはわかりませんが、現場の始業より、本社の始業が遅いのは、民間企業ではあり得ないと考えて、民営化に向けて、変えていくべきと感じたそうです。
現場の声を重視
社長就任後、沖縄の竹富島や西表島の郵便局も訪問します。竹富島も西表島も、『郵便局がある島』というより、金融機関も公共施設も『郵便局しかない島』の島民の利用者の声を聞き、郵便局の大切さや問題を痛感します。
問題というのは、当時、銀行の決済ネットワークと郵便局の決済ネットワークは接続しておらず、銀行と郵便局間で振込ができなかったのです。そのため、銀行の口座を振込したり、銀行の口座から引き出しするときに、わざわざ、船で銀行のある石垣島まで
行く必要がありました。
彼は、銀行の決済ネットワークと郵便局の決済ネットワークの相互接続を早期の実現が必要だと感じて、そのために行動したようです。
2008年8月、幹部会議で、グループ会社の部長などの幹部にこうお願いしているそうです。
『郵政の現場、フロントに愛情を持って接して仕事してほしい。収益源は現場にある。本気で現場の声に耳を傾け、現場が仕事しやすいように働くことの大切さを知ってほしい。』と。
半沢直樹がドラマの中で言いそうそうなセリフですね。
ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。
次の話は↓です。
本の紹介
著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
元三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代で郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。
内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす!
逃げたらあかん!
「不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生
安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!
マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。
<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化
以上です。