に づづけてダブル・スコープという企業の強みを考えたいと思います。
「敵に倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒するということが戦術の大原則であり、名将というのは限られた兵力や火力をそのように主決戦場にあつめるという困難な課題について、内や外に対しあらゆる駆けひきをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者ことを言うのである。」と司馬遼太郎は語っています。
ダブル・スコープの創業者・社長 崔 元根氏には、司馬遼太郎が語る名将の資質を感じます。
司馬遼太郎の名将の条件
司馬遼太郎は、その著作で名将の条件について次のように語っています。
戦術の要諦は、手練手管ではない。日本人の古来の好みとして、小部隊をもって奇策縦横、大軍を翻弄撃破するといったところに戦術があるとし、そのような奇功の主を名将としてきた。源義経の鵯越の奇襲や楠木正成の千早城の籠城戦などが日本人ごのみの典型であろう。
ところが織田信長やナポレオンがそうであるように、敵に倍する兵力と火力を予定戦場にあつめて敵を圧倒するということが戦術の大原則であり、名将というのは限られた兵力や火力をそのように主決戦場にあつめるという困難な課題について、内や外に対しあらゆる駆けひきをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである。あとは「大軍に兵法なし」といわれているように、戦いを運営してゆきさえすればいい。(P285)
敵よりも大いなる兵力を終結して敵を圧倒撃滅するというのは、古今東西を通じ常勝将軍といわれる者が確立し実行してきた鉄則であった。日本の織田信長も、若いころの桶狭間の奇襲の場合は例外とし、その後はすべて右の方法である。信長の凄みはそういうことであろう。かれはその生涯における最初のスタートを「寡をもって衆を制する」式の奇襲戦法で切ったくせに、その後一度も自分のその成功を自己模倣しなかったことである。桶狭間奇襲は、百に一つの成功例であるということを、誰よりも実施者の信長自身が知っていたところに、信長という男の偉大さがあった。pp.256-257.
名将の条件を名経営者の条件に置き換えると
名将の条件を名経営者の条件に置き換えると
『敵に倍する設備、資本、人材を利用して、安価な商品を市場に投入して競合を圧倒することが経営の大原則であり、名経営者というのは限られた設備、資本、人材を、勝負する市場のタイミングにあつめるという困難な課題について、内や外に対し、あらゆる駆けひきをやり、いわば大奇術を演じてそれを実現しうる者をいうのである。』
『敵よりも大いなる設備、資本、人材を利用、集結して競合を圧倒するとうのが、古今東西名経営者といわれる者が確立し実行してきた鉄則であった。』
といった表現になるでしょうか。
ダブル・スコープの製造するセパレータのような素材産業は、スケールメリット、規模の利益が大きいので、なおさら、「敵に倍する設備、資本、人材を利用して、安価な商品を市場に投入して」いう原則が大事になります。
自分が、ダブル・スコープ、その創業者・経営者 崔 元根氏に魅力を感じるのは、
「大軍に兵法なし」「衆をもって寡を制する」という経営の要諦をよく理解していると考えいるからです。
ダブル・スコープ、崔 元根氏は、『限られた設備、資本、人材を、勝負する市場のタイミングに投入するという困難な課題』について、どんな駆けひき、どんあ奇術を実行をしてきたのでしょうか。
あえて韓国でなく日本で創業した理由
そもそも日本で創業したのは、韓国政府から外資企業に対する優遇措置を得るためです。
日本企業として韓国に工場を立ち上げれば、外資企業の優遇として工場用地の借地費用の50年間免除や法人税の大幅減免を受けられ、設備投資が韓国企業の数分の一で済みます。
韓国政府との折衝で、外資企業に対する優遇税制や工場用地賃借料減免等の恩典を獲得に成功しています。独自技術を背景とする高い生産性と合わせ、競合大手に対し、利益を確保し、価格競争ができる仕組みを最初から考えて操業していたのです。
創業以来のどんな駆けひき、奇術を実行してきたのか、改めて、ブログで紹介したいと思います。
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