リアル半沢直樹からリアル中野渡頭取に。西川善文氏が三井住友銀行の初代頭取に。

 


に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介しています。 

 

今回は、『第四章 不良債権と寝た男』の中の、西川氏が住友銀行さくら銀行の合併を進め、三井住友銀行の誕生させ、三井住友銀行の初代頭取に就任する際の話を紹介します。半沢直樹が中野渡頭取的なポジションにますますなっていく話です。

 

どちらの道を進むべきか

 住友銀行の頭取に就任して2年後の1999年に、西川氏は、さくら銀行の頭取と内々に合併の相談をしているなか
「第一勧銀行、富士、興銀の合併でメガバンク(現みずほ銀行)ができるが、これに次ぐ統合の動きは必ず出てくるだろう。その中で当行は小粒でもピリリと辛い銀行で行くのか、あるいはどこかと統合して規模の拡大によって効率化を進めるのか、どちらの道を歩むべきか」という問題提起を住友銀行内でして、合併への調整、意見集約を進めました。

ドラマの中で中野渡頭取が言いそうなセリフですね。


三井住友銀行の初代頭取に就任

  2001年に三井住友銀行は、さくら銀行住友銀行が合併し、成立しました。
2002年に東京中央銀行半沢直樹の勤務先)は、産業中央銀行と東京第一銀行が合併し成立しました。
なお、さくら銀行の前の銀行名、太陽神戸三井銀行という名前が象徴するように、さくら銀行は以下の系譜のように、多くの銀行が合併しできた銀行でした。

 

三井住友銀行の系譜

三井住友銀行の系譜

 

さくら住友銀行という行名でなく、三井住友銀行という行名にこだわったの、住友銀行側のようです。300年の歴史のある住友のブランドの重さを考えると、さくら住友銀行でなく、三井住友銀行という、国際的なブランドにもなっている三井、住友の二つ名前を冠する銀行名にしたかったようです。
なお、三井住友銀行の英語表記:Sumitomo Mitsui Banking Corporation 略称:SMBC)で、Sumitomoが先にありますが、海外業務では、住友銀行が強く、その影響があったそうです。

さくら銀行より住友銀行の方が経営体力が強く、さくら銀行の救済のための合併とも評される人もいました。
そんな中、西川氏は、住友三井銀行でなく、三井住友銀行と、三井を前にすることは、どうでもいいことだったそうで、こだわりはなかったそうです。

2001年4月にさくら銀行住友銀行は合併し、三井住友銀行が発足し、西川氏(当時63歳)は三井住友銀行の初代頭取となりました。


行内融和より財務体質の強化

 半沢直樹の世界では、取締役初め主要経営陣は、合併前の二つの銀行から続投で採用しており、旧東京第一の経営陣と、旧産業中央の経営陣で派閥を構成し対立し、中野渡頭取の最優先課題は行内融和でした。
 三井住友銀行の西川頭取の場合は、旧住友銀行の主導による支店などの組織の統廃合などのリストラによる収益力の向上、自己資本増強による不良債権処理に耐え得る財務体質の強化だったようです。
 その辺の話を次のブログで取り上げますが、金融担当大臣 竹中平蔵の国有化も辞さない強硬路線との対立し、三井住友銀行を守っていく姿は、さながら、金融庁検査官 黒崎の執拗な検査と戦う半沢直樹の姿のようです。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

本の紹介

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 西川 善文(著) 2011年10月初版

 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

 

#三井住友銀行 #西川善文 #半沢直樹 #安宅産業 #安宅コレクション #磯田一郎 #住友銀行

 

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

 

リアル半沢直樹 西川善文氏が、リアル中野渡頭取になる。

 
に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介しています。 

 

今回は、『第四章 不良債権と寝た男』の中の、西川氏の頭取就任前後の話を紹介します。半沢直樹が中野渡頭取的なポジションになるという話です。

 

中野渡頭取_北大路欣也演

中野渡頭取_北大路欣也

 

日本で一番有名な頭取といえば、フィクションの世界では、ドラマ半沢直樹の東京中央銀行頭取 中野渡謙氏だと思いますが、現実の世界では、元三井住友銀行頭取 西川善文氏かもしれません。

両者とも、合併後のメガバンクで頭取に就任するという共通点がありますが、

中野渡頭取が、温厚な性格で、何よりも「人」を大切にし、合併後も何かと対立する東京第一銀行出身者と産業中央銀行出身者の派閥意識をまとめあげようとしているという人物、人格者として描かれています。一方、西川頭取は、「人」、人の和や気持ちより、ビジネスで必要なことを、忖度せず、容赦なく果断に実行していくというタイプのようで、まさに半沢直樹が頭取になったようなイメージの方のようです。 

都市銀行初の赤字決算

 西川氏は1991年に専務(52歳時)に、1996年に副頭取(57歳時)に、1997年に頭取(58歳時)に就任します。専務の時の活躍として触れておきたいのは、都市銀行初で、約3300億円の赤字決算で、、8000億円の不良債権の償却を実施したことです。

 不良債権の償却とは、倒産した取引先や実質的に経営が破綻している取引先に対する債権について、回収不能額を損失計上することです。不良債権の償却によって、債権を実態に合わせて評価して、銀行の資産状態を健全にして、経営判断を正しくさせることができる と思いますが、当時の銀行業界では、特に都市銀行では、国の金融行政の指導で、赤字決算がタブーで、戦後の混乱期を除いて、赤字決算がなく、住友銀行が初めてだったようです。

 コロンブスの卵ではありませんが、当時の人が「できない」と思っていたことを「できるはず、する必要がある」と果断に実行したということです。

 彼は「思い切って赤字決算しましょう。」と巽会長と森川頭取に進言し、西川氏主導で赤字決算を決定したそうです。

 なお、この住友銀行の赤字決算の発表で、銀行株が買われ、マーケット(株式市場)は赤字決算による不良債権処理が進むと高い評価を下したそうです。

 マーケット、自由経済は、神の見えざる手と表現されることがありますが、西川氏の行動を神が見ていたということです。

頭取就任

  西川氏は、1997年6月に頭取(58歳時)に就任します。戦後の混乱期に50代で頭取になった堀田庄三氏以来の50代での就任だったようです。堀田庄三氏の頭取就任の場合は、終戦後、公職追放により上層部が退陣した影響も強かったと思いますが、西川氏の場合は、当時の巽会長に、「こういう時代は西川氏しかいない。」と推薦されての就任のようで、能力が高く評価されたのでしょう。

 なお、1998年の夏、住友銀行の株価は、他の銀行株と比べて好調で、その理由を「西川プレミアム」と呼ばれたそうです。マーケット、自由経済は、神の見えざる手と表現されることがありますが、西川氏の頭取就任を神が祝福していたということでしょうか。

本の紹介

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 西川 善文(著) 2011年10月初版

 

 

仕事と人生 西川 善文(著)2021年3月初版

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

 

#三井住友銀行 #西川善文 #半沢直樹 #安宅産業 #安宅コレクション #磯田一郎 #住友銀行

  

リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘 -天皇 磯田一郎会長に土下座させたか

 

 

 に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、一章ずつ紹介しています。 

 

今回は、前回に続いて、『第三章 磯田一郎の時代』 で、彼の半沢直樹的な活躍、倍返し的な苦闘を紹介したいと思います。

 誰に倍返ししたかというと、当時の会長で、住友銀行天皇と呼ばれる程に権力、権威があった磯田一郎氏に対して、倍返ししました。 といっても『やられたらやり返す、倍返しだ!』というわけでなく、西川氏は、磯田氏から、特別に不条理な扱いを受けたり、個人的な仕打ちを受けたこともないので、倍返しという表現は適当ではないかもしれません。

  西川氏が、住友銀行の経営のために、磯田会長の退任が必要だと考えて、退任をさせるために根回しをしたという話です。

緊急部長会の招集

大和田常務の土下座のシーン.jpg

大和田常務の土下座のシーン.jpg



ドラマの半沢直樹のように、

  • 磯田氏が個人的な不正を、役員会で暴いて、磯田氏を土下座させ、会長を辞任させた。

なんて、事実はなく、磯田氏は穏便に会長を辞任し、辞任後は取締役相談役の地位についています。

 

 西川氏は、磯田氏の会長職の辞任が、住友銀行のために必要だと考えました。その根回しのために、西川氏は、秘密裡に土曜日の休日に緊急の部長会を招集し、全員の意見を集約をして、磯田会長退任要望書を作成しました。その要望書は、参加した部長全員が、印鑑もしくは朱肉を指につけて、全員押印させた血判状のようなものでした。

 西川氏は、磯田氏に役員会で、

『いそだ― やめろー!』と『この要望書を見ろ』と叫ぶようなことはせずに、要望書を当時の頭取に渡しました。

当時の頭取 巽氏は、『君たちは僕を支えてくれた。僕はその期待に添わなくてもいけない。』という思いで、磯田氏に会長職の辞任を直接、はっきりと、『お辞めください』と進言したそうです。

当時の頭取が、会長の磯田氏に退任を迫り、緊急部長会の3日後、磯田氏は会長職を辞職しました。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

本の紹介

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 西川 善文(著) 2011年10月初版

 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

 

#三井住友銀行 #西川善文 #半沢直樹 #安宅産業 #安宅 #磯田一郎

飛青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

 

大阪市立東洋陶磁美術館は、この膨大な安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

 

リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘 -天皇 磯田一郎会長に倍返しするまで-

 

に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、一章ずつ紹介しています。 

 

今回は、『第三章 磯田一郎の時代』 で、彼の半沢直樹的な活躍、倍返し的な苦闘を紹介したいと思います。

 誰に倍返ししたかというと、当時の会長で、住友銀行天皇と呼ばれる程に権力、権威があった磯田一郎氏に対して、倍返ししました。

  磯田氏は、頭取、会長として15年間も住友銀行のトップに君臨していましたが、磯田氏の収益至上主義的な積極的な経営判断は、西川氏も含めて、住友銀行の多くの行員は大きく苦しむことなるのです。

平和相互銀行の合併

 『やられたらやり返す、倍返しだ!』ということで、どんな不条理な扱いを受けて、どんな仕打ちを受けたのが、磯田氏から西川氏は受けたのでしょうか。

本当にびっくりしましたが、

ドラマの半沢直樹のように、

  • 磯田氏が営業担当だったときに、西川氏の実家の町工場から融資を突然回収して、生命保険金目当てに、西川氏の父は自殺した。
  • その町工場はネジ工場だった。

なんて、事実はく、私怨はなかったようです。

また、磯田氏の収益重視の経営方針について、異論を唱え、雨の中、傘を持たずずぶ濡れになる西川氏が、下の画像のような光景で、傘を持つ磯田氏に対して、

『銀行は雨の日に傘を貸さずに、取り上げる』と非難していた。

なんてこともなかったようです。

 

大雨での半沢直樹と大和田常務「銀行は雨の日に傘を貸さずに、取り上げる」

大雨での半沢直樹と大和田常務「銀行は雨の日に傘を貸さずに、取り上げる」

 

 むしろ、人事部長として、西川氏の採用面接を担当したり、その後も取り立ててくれることがあったそうで、恩義こそあれ、私怨は全くなかったそうです。

 ただ、磯田氏が会長時代に主導した平和相互銀行を合併では、平和相互銀行の不採算な店舗の整理や不良債権の回収に、企画部部長、融資の担当専務として、非常に苦労し、結果論ではありますが、『平和相互銀行を買わなくてよかった。』と述べています。

イトマン事件

 倍返しのきっかけとなったのは、イトマン事件(ちなみに、オリンピック選手も輩出した名門イトマンスイミングスクールはこの会社が経営していました。)です。

 イトマンという大阪の商社があり、主力行の住友銀行(現:三井住友銀行)の役員だった河村良彦氏が社長をし、ワンマン経営により、不動産への過剰投資、絵画・骨董品への不正取引で、イトマンは破綻しますが、河村氏は磯田氏のいわば子飼いで、磯田氏の権威、権力のもと、河村氏のイトマンの乱脈経営が実施されたもようです。

イトマン事件のWikipediaの記載では、

伊藤萬の不動産投資による借入金が1兆2000億円に及んだことが明らかになったことをきっかけに、許は、河村に、美術品や貴金属などを投資すれば経営が安定するとの話を持ちかけた。これを受けて、伊藤萬は許永中の絡む三つの会社から、許永中の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で買い受けた。さらに磯田の娘も不明朗な絵画取引に加わったとされる。これらの美術品は鑑定評価書の偽造などが行われ、市価の2~3倍以上という法外な価格であったが、河村や伊藤はこれを認識しながら買い受け、これによって伊藤萬は多額の損害を受けた。異常な取引が続いた背景には河村が磯田の後ろ盾でワンマン体制を取っており、誰も河村を止めることができなかった事情があった。

そのほか、伊藤や許は、伊藤萬に対して、地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発へ多額の資金を投入させた。

とあります。

 

 磯田会長は長女を溺愛していたようで、その影響で、イトマンの河村社長も良く面倒をみていたそです。長女の勤務先の会社のピサをいう会社が、不明朗な絵画取引の間に入っていたそうです。

 大和田常務が妻の事業を支援させるために銀行に不正に融資させたり、三笠副頭取が、娘の留学費用を取引先に負担させたりといった不正がドラマに出てきますが、まさにドラマのような話があったのかも知れません。

 西川氏の回顧録でも、磯田氏の長女の溺愛ぶりを示すエビソードとして、長女が後に結婚する男性とロスアンゼルスに駆け落ちしたが、秘書を派遣して、二人を連れ戻したエピソードを、西川氏本人が磯田氏の秘書から聞いた話として紹介しています。

 

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 長くなってしまったので、倍返しする話は次回のブログで紹介ます。

といっても磯田氏に、倍にして仕返ししたよう話でもないですが。

 

 ▼次のブログ

 

本の紹介

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録 西川 善文(著) 2011年10月初版

 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

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逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

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<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

 

#三井住友銀行 #西川善文 #半沢直樹 #安宅産業 #安宅

飛青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

 

大阪市立東洋陶磁美術館は、この膨大な安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

 

リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘 -宿命の安宅産業-

 

に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、一章ずつ紹介しています。 

 

今回は、『第二章 宿命の安宅産業』 で、彼の半沢直樹的な活躍を紹介したいと思います。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

安宅を破綻させたら日本経済は焦土に

 1975年9月に安宅産業の経営危機が主力銀行の住友銀行に伝わり、その翌月に、当時融資部次長だった西川氏は安宅産業対策チームに呼ばれ、以後通算八年に渡って安宅産業の処理に忙殺されることになったそうです。

安宅産業の再建、整理に関して、

 「安宅を破綻させたら日本経済は焦土に」と著者は表現していますが、決して大げさな表現ではないようです。

 

Wikipediaでは、

 安宅産業破綻(あたかさんぎょうはたん)とは、1975年に発覚したカナダにおける石油精製プロジェクトの失敗に端を発する、当時10大総合商社の一角を占めていた安宅産業の経営破綻のことである。最終的には、1977年に伊藤忠商事に吸収合併されることで解決をみた。石油ショックによる景気後退の只中に経営危機が発覚したため、恐慌を防ぐために政府・日銀までが事態収拾に乗り出した。そのため安宅の破綻処理は「“日本株式会社”の総力戦」「安宅産業の生体解剖」とも呼ばれた。

といった記載がありますが、だいぶ、月日がたって、記録、記憶も薄れている昨今ですが、当時は、戦後最大の経済事件、企業経営危機といった大事件だったようです。

 

 西川氏が回顧録の中から抜粋する形で、「安宅を破綻させたら日本経済は焦土に」の理由を箇条書きで説明します。

  • もし安宅産業が倒産すれば、当時の戦後最大の倒産規模の5倍に達する超大型倒産であった。
  • 3万5千社に及ぶ取引先、230行もある取引銀行、関連会社も含めると2万人の従業員の失業の恐れがあった。
  • 日本の総合商社、当時の十大商社の一角が破綻し、外国の銀行が損失を受ければ、日本の総合商社、多額の融資をしている日本の銀行の国際的信用の悪化、信用不安の連鎖が起こり、昭和金融恐慌の再現、日本企業の海外事業に壊滅的打撃の恐れがあった。

『安宅を破綻させてはならない。対応が誤ったら日本経済はおしまいだ。私たちは文字通り日本経済を救う使命感を持って、この問題に取り組んだのだ。』

と西川氏は語っています。カッコいいですね。

 

伊藤忠が引き受けなかった事業の再建、整理に奔走する

 安宅産業は1977年10月に伊藤忠商事吸収合併され、70年以上にわたる歴史に幕を閉じたますが、伊藤忠商事が吸収、引き受けしなかった企業、事業の再建、整理に1984年9月まで、文字通り、奔走します。

 

やはり、リアル半沢直樹、現場に足を運びます。

 北洋漁業の漁労会社に足を運び、現場の長に、『どうです、西川さん、一遍、船に乗って北洋に行きますか』と言われたそうです。実際に、船に乗り、荒れ狂う北洋を経験するシーンがあれば、まさに、ドラマですが、その時は、実際に船に乗って、北洋に行く機会は残念ながらなかったかそうです。

 ゴルフ場の再建では、山梨県の大月カントリークラブの開発予定地に足を運び、設計図だけではわかないことが多いということがわかり、まだ山林原野の状態だった土地を二日がかりで地下足袋で歩いてみて回ったそうです。

本当に、昭和の半沢直樹という感じですが、半沢直樹が、実は西川氏をモデルにしているのかもしれません。

 

安宅コレクションの売却

 半沢直樹では、伊勢島ホテルの再建時に、先代の会長が持っている絵画コレクションを売却させる話が登場しますが、安宅産業の再建時の話を参考にしているかもしれません。

 安宅産業では、創業者安宅弥吉の長男・安宅英一元会長が収集した国宝級、重要文化財級の1000点以上の美術品「安宅コレクション」というものが存在しました。

 『コレクションは、驚くほどの内容だった。陶磁は国宝が2点、重要文化財が13点含まれていた。他に、重要文化財として、速水御船の作品が2点あった。』と西川氏が語っています。

 半沢直樹と違い、高く売却するという話にならずに、公共の文化財としての収蔵、展示するため、大阪市に寄贈されたそうです。

 文化庁から正式に保全要請も出たこともあり、最終的には大阪市に寄贈されました。大阪市中之島公園内にある大阪市立東洋陶磁美術館は、この膨大な安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されました。

 今でも、大阪市の至宝として安宅コレクションは高く評価されているようです。安宅英一氏は、経営者としてはともかく、美の求道者として、美術収集家としても評価は高いようです。

安宅コレクション、大阪市立東洋陶磁美術館の経緯については、

www.sumitomo.gr.jp

の記載も参考にしてください。

 

本の紹介

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録–西川 善文 (著) 

2011/10/14初版

 
 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

 

#三井住友銀行 #西川善文 #半沢直樹 #安宅産業 #安宅

飛青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

青磁花生 元時代(国宝) 安宅コレクションの一つ 大阪市立東洋陶磁美術館収蔵

 

大阪市立東洋陶磁美術館は、この膨大な安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

安宅コレクションを収蔵、展示するために建設されたのが、大阪市立東洋陶磁美術館

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

 

 

 

リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘 -バンカー西川の誕生-

西川善文氏の死去

 元三井住友銀行頭取の西川善文<にしかわ・よしふみ>氏が2020年9月11日、82歳で亡くなりました。

 西川氏は、住友銀行の「天皇」といわれた磯田一郎頭取、会長に引き立てられ、その後、西川氏が磯田氏に退任を迫ったエピソードは有名です。小説・ドラマの「半沢直樹」のような活躍をした方、リアル半沢直樹のような方です。

いや、『事実は小説より奇なり』というと諺の通り、半沢直樹以上の活躍をしているかもしれません。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、一章ずつ紹介したいと思います。 

活躍より、苦闘という表現が適当かもと思い、このブログのタイトルは、

 リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘としています。

今回は、『第一章 バンカー西川の誕生』 で、彼の半沢直樹的な活躍、苦闘を紹介したいと思います。

 

半沢直樹が剣道なら、西川善文氏はテニス

 西川氏は1954年に畝傍(うねび)高等学校に進学しています。テニス部に入部し、一年生のときに県大会で優勝し、インターハイ全国高等学校総合体育大会)に出場しています。半沢直樹と同じく文武両道という感じですね。なお、半沢直樹は、大学も剣道部ですが、西川氏は高校二年生の時にテニス部を退部しているそうです。国体への出場ができずに、テニスへの情熱が冷めてしまったそうです。

 

取引先の経理操作との格闘

 住友銀行入行10年目くらいのときに本店調査部に所属していた時のエピソードの紹介です。大事な大手の取引先S社が経営状態が悪化し、彼が現地で調査することになった時の話です。

 西川氏が調査に入ると、S社は在庫を直系の販売会社に無理やり買わせることにして、入金のあてもないのに、売上を計上していて、資金不足の状況でした。

そのS社の創業者の実弟でもある副社長との面会時に、

『本社が売上がたっても、販売会社が死に体では立ちいきません。在庫の整理のために、いくつかの工場の閉鎖、売却が必要です。』

と言ったそうです。半沢直樹が言いそうなセリフですね。

すると、S社の副社長は、西川氏の綿密な調査ぶりに感心し、会社の重要書類を全部渡すなど、西川氏の仕事に非常に協力的になったそうです。

 

 西川氏曰く、

『会社はやはり最後は人だということだ。』

『経営者が信頼できないのに財務内容だけがいいなど、まずありえない。』

のことで、いかにも半沢直樹が言いそうなセリフですね。

 

次のお話は 

にあります。

本の紹介

 

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録–西川 善文 (著) 

2011/10/14初版

 
 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

以上です。

 

#三井住友銀行 #西川善文 #半沢直樹

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

 

 

 

『道は開ける』 デール カーネギー (著) をあえて批判する

『道は開ける』 デール カーネギー (著), Dale Carnegie (著), 香山 晶 (著)は、「自分が今まで一番落ち込んだ時に読んだ本」の一つだと思います。

  大学生の時にこの本を初めて読んで、いいことが書いてあるなと思って、座右の書のようにして、20代のころ、何度か読みました。原題は「HOW TO STOP WORRING AND START LIVING」(悩みを止め、人生を一新させる方法)です。

 

 

 

 世界的なベストセラーで誰も批判しない本で、自分もすごいいいことが書いてある本だと思いますが、『健全な批判は客観的な思考につながる。』から、あえて批判もしたいと思いました。本の中で自分が特に好きな記述ついて、『あえて』批判してみました。

 

『今日1日の区切りで生きよ』

 過去と未来を考えすぎて、悩むな、今、今日を大事にしようという趣旨だが、過去の分析、反省から、成功は生まれるし、長期的な計画、目標という意味で、未来は大事である。『今日1日の区切りで生きよ』という言葉を極端にとらえると、過去の分析、未来への展望がなくなります。

 

『私は忙しすぎる。悩んだりする暇はない』 ウィンストン・チャーチル

 不要な悩みを排除するには、忙しい状態に身をおくこと、という趣旨です。大学生のときに、バイトもせず、サークルも入らず、友達もいない、授業もない1年目の夏休みのときに、気分が暗くなり、いろいろ悩んだ。その後、バイトもして、サークル活動もして、多少悩みが消えました。
 社会人になって、「私は忙しすぎる。悩んだりする暇はない」 という状態を言い訳にして、あまり悩まず、考えないようになった。忙しい状態は、悩まない、イコール、考えないことにつながるので、注意したいといけないですね。

 

 『避けられない運命には従え』『神よ、あたえたまえ、変えることができないものを受け入れる心の平静さ、変えられることを変える勇気、それを区別する叡智を』

 何が「避けられない運命か、そうでないか」、「何が変えることができるものか、そうでないか」を判断するのは、非常に難しいです。例えば、視力が悪い人が、それを「変えられない」ものとするか、視力矯正手術を受けて「変えられる」もの」とするかなど。「変えられない」もの、「変えられる」ものかの区分について、具体的な、詳細な助言が欠けていると思います。

 

 『あの体験から学んだ最大の教訓は、飲みたいときに飲める新鮮な水と食べたいときに食べる食料さえあったら、それ以上に文句を言うべきでないということさ。』 21日間太平洋を漂流したエディ・リッケンバッカー
 「不平不満をいうより、恵まれているものに注目しよう」という趣旨だが、ブラック企業で過労死するまで頑張る人の心理につながり危険です。

 

『苦難に苦難を重ね、自分自身の力に限界に達すると、私たちの多くは絶望して神にすがる。「野戦用の塹壕の中には無神論者はいない。」 しかし、なぜ、最後の土壇場まで待つのか。

多くの人間、少なくとも日本人は、苦難を重ねなくても、比較的に簡単に、神にすがります(初詣の祈願など)。
『野戦用の塹壕の中には無神論者はいない。』というが、出所、根拠は不明です。生死がかかった極度の緊張状態であろう『野戦用の塹壕の兵士』は神のことを思う余裕があるのだろうか疑問を持ちました。

マンガも

↓は、とりえあえずマンガ、とっかりはマンガという方へおすすめの本です。

 

 

 

改めて本の紹介

内容紹介
邦訳300万部突破の世界的ベストセラー。
悩みを克服するための方法が具体的で説得力豊かに綴られた不朽の名著。

『人を動かす』と並ぶカーネギーの二大名著。
人が生きていく上で誰もが直面する「悩み」の原因を客観的に自己分析し、
心の持ちようや習慣を改め、心身の疲れを取り除く等の方法で
具体的かつ実践的に解き明かす。
苦悩するすべての人を心の闇から救いだし、行動と自己変革への勇気を与え、
新しい人生を切り開くための座右の書。
1944年の初版刊行以来、時代に合わなくなった部分を修正するなど、
折々に改訂が施されてきた現行の公式版。

〔目次〕
訳者まえがき
序――本書の生いたち
本書から最大の成果を得るための九カ条
◇PART1 悩みに関する基本事項
1 今日、一日の区切りで生きよ
2 悩みを解決するための魔術的公式
3 悩みがもたらす副作用
◇PART2 悩みを分析する基礎技術
4 悩みの分析と解消法
5 仕事の悩みを半減させる方法
◇PART3 悩みの習慣を早期に断つ方法
6 心の中から悩みを追い出すには
7 カブトムシに打ち倒されるな
8 多くの悩みを閉め出すには
9 避けられない運命には調子を合わせる
10 悩みに歯止めをかける
11 おがくずを挽こうとするな
◇PART4 平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法
12 生活を転換させる指針
13 仕返しは高くつく
14 恩知らずを気にしない方法
15 百万ドルか、手持ちの財産か
16 自己を知り、自己に徹する
17 レモンを手に入れたらレモネードをつくれ
18 二週間でうつを治すには
◇PART5 悩みを完全に克服する方法
19 私の両親はいかにして悩みを克服したか
◇PART6 批判を気にしない方法
20 死んだ犬を蹴飛ばす者はいない
21 非難に傷つかないためには
22 私の犯した愚かな行為
◇PART7 疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法
23 活動時間を一時間増やすには
24 疲れの原因とその対策
25 疲労を忘れ、若さを保つ方法
26 疲労と悩みを予防する四つの習慣
27 疲労や悩みの原因となる倦怠を追い払うには
28 不眠症で悩まないために
◇PART8 私はいかにして悩みを克服したか

内容(「BOOK」データベースより)
悩みの正体を明らかにし、悩みを解決する原則を具体的に明示して、こころの闇に光を与える不朽の名著。

内容(「MARC」データベースより)
「悩みに関する基本事項」「悩みを分析する基礎技術」「批判を気にしない方法」など、悩みの正体を明らかにし、悩みを解決する原則を具体的に明示。こころの闇に光を与える書の新装版。

著者について
1888年、米国ミズーリ州の農家に生まれ州立学芸大学卒業後、雑誌記者、俳優、セールスパーソン等雑多な職業を経て、YMCA弁論術担当となり、やがてD.カーネギー研究所設立。人間関係の先覚者として名声を博す。1955年、66歳で死去。

 

 

 

以上です。