西川善文氏の死去
元三井住友銀行頭取の西川善文<にしかわ・よしふみ>氏が2020年9月11日、82歳で亡くなりました。
西川氏は、住友銀行の「天皇」といわれた磯田一郎頭取、会長に引き立てられ、その後、西川氏が磯田氏に退任を迫ったエピソードは有名です。小説・ドラマの「半沢直樹」のような活躍をした方、リアル半沢直樹のような方です。
いや、『事実は小説より奇なり』というと諺の通り、半沢直樹以上の活躍をしているかもしれません。
どんな活躍をしたのか、彼の回顧録
に従って、一章ずつ紹介したいと思います。
活躍より、苦闘という表現が適当かもと思い、このブログのタイトルは、
リアル半沢直樹 西川善文氏(元三井住友銀行頭取)の苦闘としています。
今回は、『第一章 バンカー西川の誕生』 で、彼の半沢直樹的な活躍、苦闘を紹介したいと思います。
半沢直樹が剣道なら、西川善文氏はテニス
西川氏は1954年に畝傍(うねび)高等学校に進学しています。テニス部に入部し、一年生のときに県大会で優勝し、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)に出場しています。半沢直樹と同じく文武両道という感じですね。なお、半沢直樹は、大学も剣道部ですが、西川氏は高校二年生の時にテニス部を退部しているそうです。国体への出場ができずに、テニスへの情熱が冷めてしまったそうです。
取引先の経理操作との格闘
住友銀行入行10年目くらいのときに本店調査部に所属していた時のエピソードの紹介です。大事な大手の取引先S社が経営状態が悪化し、彼が現地で調査することになった時の話です。
西川氏が調査に入ると、S社は在庫を直系の販売会社に無理やり買わせることにして、入金のあてもないのに、売上を計上していて、資金不足の状況でした。
そのS社の創業者の実弟でもある副社長との面会時に、
『本社が売上がたっても、販売会社が死に体では立ちいきません。在庫の整理のために、いくつかの工場の閉鎖、売却が必要です。』
と言ったそうです。半沢直樹が言いそうなセリフですね。
すると、S社の副社長は、西川氏の綿密な調査ぶりに感心し、会社の重要書類を全部渡すなど、西川氏の仕事に非常に協力的になったそうです。
西川氏曰く、
『会社はやはり最後は人だということだ。』
『経営者が信頼できないのに財務内容だけがいいなど、まずありえない。』
とのことで、いかにも半沢直樹が言いそうなセリフですね。
次のお話は
にあります。
本の紹介
著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
元三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代で郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす!
逃げたらあかん!
「不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生
安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!
マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。
<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化
ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。
以上です。