宿澤 広朗(しゅくざわ ひろあき) 半沢直樹以上の異能のバンカーを悼む - ラグビー日本代表監督としての偉業 -

 

 に続けて、 リアル中野渡頭取といえる西川善文氏が、将来の頭取として、三井住友銀行を託したかった男、異能のバンカー、宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき)氏の活躍を紹介します。

 

スコットランド戦で奇跡の大金星で胴上げされる宿澤氏

スコットランド戦で奇跡の大金星で胴上げされる宿澤氏

 

宿沢氏がラグビー日本代表監督になる経緯

 

日本ラグビーフットボール協会のホームページには、
「訃報」宿澤広朗氏というタイトルの記事て、彼の業績が簡潔に紹介されています。

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熊谷高校早稲田大学→株式会社三井住友銀行
日本代表SH(スクラムハーフ)として活躍。代表キャップ3。
初キャップ試合は、昭和49年(1974)5月26日の対NZ学生選抜戦。
1989年1月~1991年11月に日本代表監督を務め、1989年5月28日(東京・秩父宮ラグビー場)、監督としての初テストマッチで、
スコットランド代表を28対24で破る。
1991年10月、欧州開催の第2回ラグビーワールドカップでは、
予選プールのジンバブエ代表戦でワールドカップ唯一の勝利を収める。
(1991年10月14日、北アイルランド・ベルファースト)。
その後、平成13年(2001)に強化委員長に就任し、2003年の第5回ラグビーワールドカップに参加した。

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 彼は現役選手を引退したのは1975年ですから、日本代表監督に就任するまで14年間は、選手としても、指導者としても、ラグビーとは縁がありませんでした。

 しかし、ロンドン駐在時代に、ラグビーの海外試合について、NHKニュースのコメンテーターとして出演し、ラグビーの海外試合のテレビ解説者としてもNHK頻繁に登場していた。また、英国ラグビーを観戦したリポートを日本ラグビー協会に送ったりしていまいた。

 そんなレポートを見て、頭脳明晰な戦術眼に着目した当時のラグビー協会が、ラグビー日本代表監督の就任を要請したのです。仕事との両立が難しく、固辞するつもりでしたが、当時の住友銀行の頭取が磯田一郎氏が1936年にラグビー日本代表としても活躍したラガーマンだったこともあり、銀行の配慮もあり、最終的に日本代表監督を引き受けます。


明治大学および新日鐵釜石、日本代表として活躍した現日本ラグビーフットボール協会

会長の森重隆氏は、

「宿澤さんは銀行員としてロンドンに駐在して、帰ってきた。指導者としての経験が皆無なのに、いきなり日本代表の監督にするとは、なんて協会はいい加減なことをするのだと私は腹を立てたりもしました。ところが手品みたいに勝ってしまった宿澤さんを見て、よくまあ短期間のうちに選手と心が通じあえたものだなあと感心しました。それと同時に、クールにポッと勝ってしまったような印象もうけて、はたして宿澤さんには熱さがあるのかなぁと思ったりもしました」と当時を振り返っています。

 

奇跡のスコットランド戦の勝利

 就任したのが、1989年平成元年の1月で、そのわずか4カ月後の最初のテストマッチ(国際試合)で、強豪スコットランドに対して勝利します。この試合は、平成の奇跡、奇跡の大金星といわれました。

 

試合前の記者会見で「スコットランドには勝てると思います」と発言して周囲を驚かせたました。「約束通り勝ちました。」と実際に勝利してしまうなんて、本当にドラマのようです。

 

宿澤氏はディーラーの経験を活かして、勝つための情報の収集・分析・活用(伝達)に力を注ぎました。宿澤は、日本代表が集合した初日から試合前まで終始一貫して選手に言いつづけました。
スコットランド戦は勝ちにいく。相手は第二線防御が甘く、ジャパンのバックスで25点は取れる。だから失点を20点に抑えれば必ず勝てる」と。繰りかえし言われると、
選手たちも「勝つ」ということが実感として受けとめられるようになったようです。

 

 試合前日 スコットランド代表がメディアにも見せない非公開練習を行った。
宿沢ら指導陣は伊藤忠商事の慶大ラグビー部OBに頼み、 秩父宮のフィールドから直線距離で30メートルも離れていない伊藤忠商事のビルの12階からこっそり偵察したそうです。こんなシーンもまさにドラマみたいですね。

 


「ここは通用する、こうなったらきついぞ、という具合にシミュレーションを重ねながら練習を構築していきました。宿澤さんは選手を自分の好みの色に染めようとする監督ではない。そういうことから脱皮した最初の監督でもあります」

と当時の日本代表の主将 平尾誠二氏は宿澤氏を礼賛しています。

 

『絶対に勝て”とか“死ぬ気でがんばれ”とか言うのは比較的やさしいことである。
また、そのような言葉で選手の気力を向上させることも容易な場合がある。
 しかし本当に必要なことは“絶対に勝て”ということより“どうやって”勝つのかを考え指導することであり、“がんばれ”というなら“どこでどのように”具体的にかつ理論的に“がんばる”のか指示することではないだろうか』

と宿澤氏もその著書で語っていますが、指導者としてもとても優秀の方であったことは間違いなさそうです。

 

ワールドカップでの初勝利

スコットランド戦の翌々年の1991年には、ジンバブエ戦でワールドカップ初勝利を果たします。
ジンバブエに52-8で勝利しましたが、スコットランドに9-47の敗北、アイルランドに16-32の善戦しましたが敗北となりました。

なお、その後、日本代表がワールドカップで勝利するのは、2015年の南アフリカ代表 戦ですから、20年以上、宿澤氏の勝利以降、ワールドカップで勝利がなかったことになります。

また、1995年に開催されたワールドカップウェールズには10-57、アイルランドには28-50といずれも完敗。3戦目の対ニュージーランドでは、17-145と「悪夢 (悲劇)」と呼ばれる大敗を喫しっています。

こんなことを考えると、宿澤氏のワールドカップの健闘ぶりは、偉業と呼んでもいいぐらい、もっと評価されていいことのように思いました。

 

 住友銀行三井住友銀行での活躍については、改めてブログに投稿したいと思います。半沢直樹以上の活躍をした 銀行マン 宿澤 広朗氏はリアル半沢直樹かも知れません。

  宿澤氏に関する本も二つ程あったので、紹介しておきます。

 

宿澤広朗 運を支配した男 (講談社+α文庫) 

 

 

全戦全勝の哲学 宿澤広朗 勝つことのみが善である (文春文庫) 

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

 

  ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

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以上です。