橋本龍太郎内閣の緊縮財政で日本は長いデフレになった。

 

 
に続けて、 

経済で読み解く日本史 平成時代1989年-2019年(上念 司著)

を読みながら、平成の長いデフレの原因となった財政金融政策を
振り返りたいと思っています。

前回は、三重野総裁時代の日本銀行の金融引き締めの問題でしたが、今回は橋本龍太郎内閣の消費税増税と緊縮財政の問題です。日本銀行財務省(大蔵省)は、いずれも日本経済の成長に最も大切な組織ですが、その組織も交互に失敗を重ねてきたのが、日本の平成のデフレ不況の原因のようです。

■最悪のタイミングで消費税増税

 経済で読み解く日本史 平成時代1989年-2019年(上念 司著)

 

の第2章 『ターニングポイントとなった1993年』 で、

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・(橋下首相は)結局、村山内閣からの増税路線を否定することなく、97年4月に消費税は3%から5%に増税されます。これが景気の冷や水となり、束の間の景気回復はもろくも2年で崩れ去りました。

・消費税を増税したことで景気は低迷し、1998年の税収は前年の53.9兆円から49.4兆円と4.5兆円も落ち込んでしまいました。

・さらにこの時を境に名目GDP成長率から実質GDPを引いたGDPデフレーターはマイナスになりました。2012年まで続く、長く苦しいデフレいのトンネルの入り口でした。

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と橋本首相、橋本龍太郎内閣の政策を非難しています。

 

なお、ターニングポイントとなった1993年とは、

1993年の総選挙で自民党が下野し、細川非自民連立内閣が成立したことを指します。その後の政治の混迷に関係してか、経済学的に常識的な経済財政政策を実行されずに、日本は長いデフレに苦しことになりました。


 
■ 消費税増税でなく緊縮財政が問題だった

 
1996年10月に総選挙で、自民党小選挙区比例代表並立制初の衆院選で自民は過半数近くの議席を確保し、復調しました。
この時は、消費税増税を公約に掲げ、野党の新進党は3%への据え置きを公約にしていました。


しかし、
「これは歴史的勝利だ。消費税を上げると約束した自民党が、
上げないと言う野党、新進党に勝ったのだから。
自民党ポピュリズム、人気取り政治に勝利したわけだ。
そして小沢が選挙に強いという神話も打ち破ったよ」
と当時の自民党 加藤紘一幹事長を話すような状況でした。

 

つまり、消費税増税の世論もそれほど反対していなかったのです。

消費税増税しても、政府が増税した分を支出をすれば、景気には中立です。
むしろ、貯金に回っていた分が政府が支出すれば、景気にはプラスです。

しかし、橋本内閣は財政再建を急ぐあまり、
消費増税に加えて所得減税打ち切り、医療費の自己負担増も同時並行し、公共事業など支出や景気対策も積極的でなく、
増税分は国債の返済にあてるような政策でした。

国民の負担増は消費増税分で5兆円、減税打ち切り・医療費増加分で4兆円の計9兆円に達し、名目GDP換算で2%分のマイナスになり、
、政府支出は4兆円減っていますから、13兆円の需要が突然消えたので、
当然、景気も株価も大幅に悪化しました。

 

財政再建の為に緊縮財政をすると、税収が減少し、財政赤字を収縮
させるどころか、拡大させた大失敗です。

景気回復優先、経済成長優先にすれば、税収が増え、財政赤字を収縮できますが、
税収を増やすことで、景気回復、経済成長は実現できないのです。

 

2000年に成立した小泉内閣でも、橋本内閣と同じ失敗をします。

 緊縮財政は景気悪化、成長率鈍化でさらなる財政悪化を招くというのは経済学の基本と思われるのですが、そんな基本も無視した政策をして失敗するのは何故でしょうか。

 小泉総理も橋本総理も比較的支持率が高く、国民的人気がある総理として政権をスタートさせています。日本の政治家は、国民に迎合するのでなく、負担を強いる政策がするのが偉大な政治家だと勘違い、もしくはそんな勘違いをしているマスコミや国民も多いのでしょうか。

 人気、支持率の高い政治家だと、国民の負担の強いる政策、緊縮財政を実施してでも、歴史に名を残したいという功名心が働くのでしょうか。

 

■ 緊縮財政の危険性

緊縮財政の危険性、無意味さは、植草一秀氏の主張が大変、説得力があります。

なお、植草一秀氏ですが、れいわ新選組の政策ブレーンになっているという噂もあるようです。 

 

 

現代日本経済政策論 (シリーズ現代の経済)

現代日本経済政策論 (シリーズ現代の経済)

  • 作者:植草 一秀
  • 発売日: 2001/09/20
  • 21世紀に入りますます混迷の度を深める日本経済.何が問題なのか.またいかにしたら立ち直ることができるのか.金融政策,財政構造問題,年金,税制,分権化,労働市場,新産業育成,規制緩和,政策決定過程など根幹的な個々の課題に即しつつ,緻密なデータ分析に基づいて経済再生の条件を究明.国として取るべき選択を示唆した,気鋭のエコノミストによる本格的な経済政策論.
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平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで (中公新書) 

では、

首相官邸、大蔵省(財務省)、日銀、自由民主党の4つの機関の考え方の差が大きく、そのパワーバランスによってどういう政策決定がされたかを具体的な人名を交えて描いていますが、当事者によるキーパーソンによる貴重な証言を交え、金融失政の三〇年を検証しています。失政の原因は、日本銀行に大きいことも感じられるのではないでしょうか。

 

竹森俊平著『 経済論戦は甦る』

 

では、『小泉政権時代に構造改革路線は誤りであった』

と過去の大恐慌を引き合いにして非難している。当時、支持が高かった小泉政権の方針に反対するのは勇気のあったことでしょう。

金融緩和+減税+公共事業→リフレ(脱デフレ、需要創出)政策と 構造改革(政府+企業の生産性向上)の両方、いわば飴(あめ)と鞭(むち)でいえば、たくさんに飴に少しの鞭という政策が必要で、それは令和の時代でも変わらないと思います。

 

総選挙に勝利し握手する自民党の橋本龍太郎総理と加藤紘一幹事長1996年10月

総選挙に勝利し握手する自民党橋本龍太郎総理と加藤紘一幹事長1996年10月

以 上 で す。