宿澤 広朗(しゅくざわ ひろあき) 半沢直樹以上の異能のバンカーを悼む - バンカーとしての功績-

 

 

 で、リアル中野渡頭取といえる西川善文氏が、将来の頭取として、三井住友銀行を託したかった男、異能のバンカー、宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき)氏のラグビー選手、ラグビー日本代表としての活躍を紹介しましましたが、

今度は、住友銀行三井住友銀行の行員、バンカーとしての活躍を紹介します。

 2006年6月17日、赤城山登山中に心筋梗塞を発症し、搬送された群馬大学医学部附属病院で死去しました。55歳没でしたが、当時は、三井住友銀行の取締役専務執行役員

関西経済同友会の副会長の要職に就任し、将来の頭取候補と言われました。

彼はまさにエリートコースを歩んでいたのですが、彼のバンカー、ビジネスマンとしての功績は多くの人が語っています。

そのいくつかを紹介したいと思います。

 

 三井住友銀行 頭取 奥正之氏より

宿澤氏の遺影と弔辞を読んだ奥正之氏

宿澤氏の遺影と弔辞を読んだ奥正之

宿澤氏の葬儀に葬儀委員長として責任者を務めた三井住友銀行頭取 奥正之氏は、
宿沢広朗という楕円球は今、着地の瞬間に大きく不規則バウンドして消えてしまい、そこでノーサイドの笛が吹かれてしまいました」
「君の人生が不規則バウンドをして、ノーサイドを迎えたのが悔しい」
「君は同じ銀行員として、大きな誇りでありました」

と涙をこらえながら、宿澤氏に弔辞を送りました。

 奥氏の弔辞は、記憶に残る名弔辞といわれて、

弔辞 劇的な人生を送る言葉 (文春新書)

 に、全文が紹介されています。

 

 奥氏は、翌年の2007年の三井住友銀行の入行式で、新入行員たちに、

『亡くなった宿澤氏は、「努力は運を支配する」という言葉を口にしていた。
 「楕円形のラグビーボールのバウンドは一見、予測がつかないと言われるが、
それは努力によって克服できる。人間には平等にチャンスがやって来るが、それをものにできるかどうかは、その人の日々の不断の努力による」
ということである。先を読んだ柔軟な発想と不断の努力を続け、
勇気を持って挑戦・実行し、自己実現をしっかりと果たしてほしい。』

 といった話をしました。

 

日本郵政社長 西川善文氏より

『実は、もう少し後の世代として頭取候補として意中の人物がいた。』

『債券の投資業務や外国為替などのディーリング業務で異能を発揮し、多い時は銀行の業務純益の半分くらい稼ぎだしたこともある。部下の鍛え方もよかった。』

『存命なら、きっと頭取として銀行を引っ張ていただろう。』

『(登山中での急逝をくやんで)本当に惜しいことをした。体力に自信があるからといって、どうしてあんなに無理をしたのか。悔しくてならない。』

と西川氏の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

の中で語っています。

 

なお、奥氏、西川氏の役職は、宿澤氏の死去当時の役職です。

 

三井住友銀行執行役員 宮田孝一氏より(後に三井住友ファイナンシャルグループ社長 )

 

合併後、ディーリングルームで3年間、共にすごした。ラガーらしく、とにかくフェアで、しかも攻撃的。もちろん、「見可而進」※だけではなく「知難而退」※も早く、大胆な損切りもできた。

早世した戦友は、よく「ビジネスとスポーツは同じだ」と口にした。どちらも、ルールを守ることが必須で、勝たないと意味がない、との指摘だ。「勝つことのみが善である」とも語っていた。

「結果へのこだわり」――宿澤流から吸収する点は、多かった。

と三井住友ファイナンシャルグループ社長就任後のインタビューで語っています。

 

「見可而進、知難而退也」(可を見て進み、難を知っては退く也)――勝つ条件が整っていれば進軍するが、難しいと悟れば退却するとの意味で、中国・戦国時代の兵法書呉子』にある言葉から来る。

 

三井住友銀行 執行役員清水喜彦氏 (現 SMBC日興証券代表取締役社長) 

 

『リクルーターだった宿澤さんと出会い入行した。それ以来、私が問題を起こすと、外国からでも叱りの電話を入れてくれた。兄貴分のような存在だった。』

 とSMBC日興証券代表取締役社長就任時のインタビューで宿澤氏のことを語っています。

 

日本禁煙学会のエッセーコンテストの入賞作品より

 意外のところでは、日本禁煙学会の「タバコ:あの人にもっと生きてほしかった」エッセーコンテスト(2008年)の入賞作品で、池田智子さんという方が、宿澤氏との思い出を語っています。

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 (前略)私の会社の創業記念の顧客向けのイベントとして宿沢さんに講演を依頼したところ、「いいですよ。やりましょう」と快諾してくださったからだ。
 横浜で開いた中小企業の経営者向けの講演会はホテルの広いホールが一二〇〇人の出席者で埋まり、熱気にあふれた。
 講演のテーマは『人材育成』だ。宿沢さんは最強のチームをつくるために選手をどのように育てるか、というところから話し始め、監督は勝つ可能性を引きあげるのが役目であると締めくくった。講演が終わった瞬間、それまでしぃーんとしていた会場が大きな拍手で揺れた。選手を育てるには短所を直す方に精力を使うよりも長所を伸ばすことこそプラスになる。短所を直すことには限度があるが、長所を伸ばすのは無限だ。それから、戦法を選手に徹底させるには理論の裏づけがなければならない。『どうして』とか、『何故』をきちんと説明すること、の二点が強く印象に残った。そして講演を聞いた私のなかでリーダーとして、また職業人としての彼に対する尊敬の念がより深まった。講演会をきっかけに私達は時折の電話や食事、年賀状くらいのおつきあいをするようになった。

(中略) 宿沢さんの思い出の最後はタバコだ。食事の後、ゴルフやお酒の合間には必ずおいしそうにタバコを吸っていた。
 彼の愛用はセブン・スターだった。
「格闘技と言われるスポーツをなさっていたのにタバコを吸われるんですか?」
「現役を引退してから吸うようになった。七年半、イギリスに赴任して向こうの強いタバコを吸ってからさらに病みつきになってね」
「でも、普通の人の二倍どころか、三倍も四倍も忙しいんですもの。少し控えた方が良いのではないですか?健康のために」
 一度だけ私が苦言を呈した。
「わかってるよ。でもサ、だからこそタバコが必要なんだ。そう、思わないかい?」
 確かに銀行でもラグビーでも重責をになって働いているのだから、彼のストレスは想像を超えるものに違いない。だが、彼ほど意志の強い人でもタバコに頼らずにはいられないのだろうか・・・・・・。頭のなかで彼のタバコを理解しよう、わかってあげようと思ったが心配が消えなくて「やめられないなら、減らしてみてください」とまで言ってしまった。
「それが減らせないんだ。一日に三箱か四箱は吸っているよ。夜には大きな灰皿に吸殻が山盛りになっちゃう。けれど、僕はスポーツ選手だったんだ。肺も心臓も鍛えているから大丈夫だと思わないかい?」
 そう言った宿沢さんに対して私には返す言葉が見つからなかったが、しばらくして私の胸に不安が生まれた。激しいスポーツで体は鍛えられただろう、だが、肺も心臓も無理をさせられてきたはずだ。大丈夫というのは自己過信ではないだろうか、そのうえタバコを吸うのはいけないはずだと思った。
 宿沢さんの命を奪った心筋梗塞。もし、もし、彼がタバコを吸っていなかったら群馬大学での治療を受けるまで彼の心臓はきっと生きていたのではないかと悔やまれてならない。
 宿沢さんを失った日本ラグビーの低迷には目を覆うものがある。日本ラグビーの未来を担うべき人はもういない。すべてのラガーマンには宿沢さんの遺志を継いで、もっと、もっと汗を流してもらいたいと思う。
 宿沢さん!私はあなたに会いたい。もう一度会いたい。あの人なつこいにこっとした笑顔のあなたに。(後略)

 

 

 最後に、宿澤氏に関する本も二つ程あったので、紹介しておきます。

 

宿澤広朗 運を支配した男 (講談社+α文庫) 

 

 

全戦全勝の哲学 宿澤広朗 勝つことのみが善である (文春文庫) 

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

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以上です。