『洪思翊中将の処刑』-第1章 南方赴任-を読んで

洪思翊中将の処刑 | 山本七平 著を読みました。その抜粋、要約、所感、関連する話題など紹介したいと思います。今回は「第1章 南方赴任」についてです。

 

洪思翊中将の処刑

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■洪思翊中将とは

洪 思翊(ホン・サイク 日本語読 こう しよく、1889年3月4日 生- 1946年9月26日没)は、太平洋戦争後、B級戦犯としてフィリピンで処刑された日本陸軍中将です。

名前の通り、朝鮮出身です。朝鮮出身の日本陸軍軍人としては、王族として皇族と同等の優遇を受けた李垠中将と並び、最も高い階級に昇った方ですが、彼は王族でもなく、その能力と人格で中将に昇ったと言われています。

↑のWikipediaでも、洪思翊氏の出自や経歴など概要は知ることができます。

山本七平氏の著作も何作か読みました。戦場のリアリズムが、人の本質とは何かを示唆するような作品が多く、『洪思翊中将の処刑』も読んでみたいと思っていました。

■洪思翊氏の人望

第1章では、旧大韓帝国(朝鮮京畿道:現韓国の北西部でソウル特別市を囲む地域の生まれ。)出身で中将にまで昇格したのは極めて異例であること、

また、洪思翊中将が敗戦濃厚な状況で、南方赴任し、南方軍総司令部兵站監部総監に就任した経緯が語られています。

南方軍総司令部兵站監部総監に就任した理由は

当時、南方には朝鮮人の軍属が多く、戦況の悪化とともに待遇が悪化し、暴動が発生していて、韓国人にも人望がある洪思翊中将に白羽の矢が立ったようです。

「韓国人にも日本人にも人望があった洪中将を兵站監部に置き、その人望によって何とか平穏を維持し、統制をはかろうとしたのではないか」と金貞烈氏の推測を紹介し、著者の山本七平氏もその可能性が高いとしています。

洪中将には一種独特の人を心服させる人格的な力があり、彼に接したすべての人から敬慕をうけ、戦犯収容所の米兵とて例外ではなかったことを思うと、それを知悉していた軍の首脳が何を期待していたかは、ほぼ推察がつく。それゆえ私には、金貞烈氏の説が最も説得力をもつように思われたのである。

 

金貞烈氏は、若き日に洪中将の家に下宿しており、最もよくその人柄を知る人の一人だったそうです。

金貞烈氏も名前が示す通り、朝鮮出身であり、日本陸軍の最終階級は大尉で、その後、韓国空軍中将、サムスン物産社長を経て、韓国の全斗煥政権で、国務総理(日本でいう首相)を就任しています。

山崎豊子の小説『不毛地帯』に登場する「光星物産会長・李錫源」は、金貞烈がモデルと言われています。

 

■洪思翊氏の最後の手紙

1945年1月19日に息子の洪国善夫妻に送った手紙によると、洪思翊氏は日本の敗戦、自分の戦死も覚悟していたようです。この手紙が最後の手紙と言われ、遺書も残さず、裁判で一切の弁明もしなかった洪思翊氏にとっては、一種の遺書とも呼べそうです。

 

暫く消息杜絶だったね。其間国善の支那行きは如何、一家健在なりや遙かに祈る。父は去る年末威一五八八二部隊長(十九年末、兵站総監)に所謂栄転したが比島の戦況は概ねラジオや新聞報道の通りで今後生還の機会があるかないか俄かに予断を許さざるに至った。出征当初よりこの覚悟は出来て居り若し戦場に屍を曝せば男子の本懐で固より悔ゆる処がないが過去を回顧せば初志を貫徹したること一つとてなく誠に慚愧に堪えず、一面私的に言えばお前達夫婦や(後略)

古今東西、大事な人格

洪思翊氏は能力・人格ともに立派な方だったみたいです。

私は両方ないですが、能力が高い人は人格が立派と言えそうで、人格が立派であれば能力も高くなるのかもしれません。

日本陸軍でも、現在の民間企業でも、大事なのは人格なのかもしれません。

 

■本について改めて紹介

洪思翊中将の処刑 | 山本七平 著Amazon Kindleでも楽天 Koboでも読書可能です。

 

 

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■冤罪に対し、なぜ弁明もせず絞首台に上ったのか?

日本・朝鮮・米国の歴史に翻弄されつつも、武人らしく生きた朝鮮人帝国陸軍中将の記録。

洪思翊は、大韓帝国最後の皇帝に選抜されて日本の陸軍中央幼年学校に入学、(朝鮮王家以外では)朝鮮人として最高位の中将にまで出世した人物である。
しかし終戦直後から始まったフィリピン軍事裁判で、フィリピンの捕虜の扱いの責任を一方的に問われ、死刑に処せられた。

太平洋戦争に従軍した山本七平が、
・洪思翊中将が、アメリカをはじめとする連合国の軍事裁判の横暴さに対して、なぜ弁明もせず絞首台に上ったのか。
・そもそも生活に困っていたわけでもない朝鮮人エリートが、なぜ日本軍に入ったのか。
・「忠誠」とは何か。
について問うノンフィクション。

■「あとがき」からの抜粋
だが、彼ら(アメリカ)にとってはこれが「事実」で、判決は同時にこの事実の確定なのである。ではこの「語られた事実」は果して「事実」なのか。ミー弁護人のいう「時の法廷」が裁くのはこの点で、裁かれているのはアメリカであろう。そしてこの「時」を体現していたかの如く無言で立つのが洪中将である。こういう視点で読むと、四十年前に行われたこの裁判はきわめて今日的であることに気づく。

著者 山本七平(やまもと・しちへい)

評論家。ベストセラー『日本人とユダヤ人』を始め、「日本人論」に関して大きな影響を読書界に与えている。1921年生まれ。1942年青山学院高商部卒。砲兵少尉としてマニラで戦い補虜となる。戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。1970年『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。日本文化と社会を批判的に分析していく独自の論考は「山本学」と称され、日本文化論の基本文献としていまなお広く読まれている。1991年没(69歳)。

 

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