リアル半沢直樹 西川善文氏の奥さん リアル半沢花、日本郵政社長就任に反対する

  


に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍、いや苦闘をしたのか、西川氏の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介しています。 

 

今回は、『第六章 日本郵政社長の苦闘』に向けて、第五章の最後に記載された日本郵政を引き受けた苦渋の決断をした時の話です。

 

 火中の栗を拾う

 郵政事業の問題は、22005年8月8日、参議院本会議で郵政民営化関連法案が否決され、その夜に小泉総理大臣は、「郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」と衆議院を電光解散し、小泉総理大臣率いる自民党が大勝利しました。郵政問題は、当時の日本の政治、いや社会全体の最重要な問題といえたでしょう。

 西川氏は、2005年10月に日本郵政社長への打診を受けます。日本郵政は、郵便事業を民営化した会社で、その会社の運営は、日本の政治、マスコミがとても注目されていました。西川氏は、当時、大腸ガンの手術を控えており、一度、断りますが、10月に小泉総理大臣自らの依頼もあり、引き受けることになります。

 

最終的に引き受けるとときに 奥さんとこんな会話があったそうです。

奥さん「日本郵政社長なんて、政治家を相手にするような仕事を政治音痴のお父さんができるわけない。」

西川氏「総理自らがどうしてもおっしゃっているんだ」

奥さん「ひどい目にあうことを覚悟をしてね」

西川氏「しんどいとか、厳しいとか、泣き言は言わないよ。」

半沢直樹と奥さんの花の会話ででてきそうなセリフですね。

半沢直樹の奥さん半沢花

半沢直樹の奥さん半沢花

リアル半沢直樹が、 西川善文氏であれば、その奥さんは、リアル半沢花ですね。

西川氏の回顧録には、私生活の話は、奥さんとの会話ぐらいしか、出てきません。

半沢直樹が仕事で頑張れたのも、奥さんの半沢花の支えがあってこそ、そんなシーンがドラマではよくありますが、

リアル半沢直樹と呼ばれる西川氏が全力で仕事に打ち込めてのが、家庭での妻の支え、安心できる家庭があったのではと推察しました。

奥さんが心配、反対するなか、西川氏は、文字通り、火中の栗を拾う覚悟で、火中の栗を拾ったのでしょう。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

次の話は↓です。

リアル半沢直樹 西川善文氏、火中の栗を拾って、日本郵政社長として苦闘する。 - 令和の未来カエルのブログ

本の紹介

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

#半沢直樹 #逆さ合併 #リアル半沢直樹 #西川善文氏 #金融庁検査 #リアル半沢花 #半沢花

名古屋市 市政資料館のコスパが高すぎる

 

コスパが高すぎる観光スポット 名古屋市市政資料館

秋晴れの2020年9月20日(日曜日)、四連休の二日目に、名古屋市市政資料館に行ってきました。

秋晴れの日の名古屋市市政資料館.

秋晴れの日の名古屋市市政資料館.

名城線市役所駅から徒歩8分程度で、同じく市役所駅徒歩5分なので、名古屋城とセットで観光するスポットとして大変おすすめです。

何が、おすすめか、というコスパが高いのです。

まず、コストですが、なんと入場料が無料です。つまり、コストは交通費の除けば0円です。

 

 コスパが高いといえば、kindleulimitedもおすすめです。名古屋の観光ガイドブックなども読めるので、本のガイドブックを買うよりお得かもしれません。

豪邸のあるじになった気分になれる

重要文化財に指定されて外観や内部を創建当時のままの維持している建物が、無料で施設内に入って見学できるのです。

どの位、歴史的な建物かという、ドラマでは、『花より男子2』(2007年)や『坂の上の雲』(2009~2011年)など、そうそうたる作品のロケ地として使われてきた。ドラマの撮影場所として利用されれいることからもわかります。

大正時代に建設された建物ですが、当時は大日本帝国の最盛期だったのか、大正バブルという言われる時代の影響か、建物の中は、豪華、バブリーな雰囲気の装飾、家具がたくさんあります。豪邸のあるじになった気分が無料で味わえるのです。

 

左の写真が正面玄関、右の写真が会議室

左の写真が正面玄関、右の写真が会議室

 

冤罪逮捕された映画の主人公の気分で無実を叫ぶ

もともと名古屋市市政資料館は、裁判所として建設、利用されていただけあって、拘置所や裁判で利用された部屋がそのまま残されています。

1階には、留置場も 見学可能で、独居房、雑居房ともに内部に入ることもできます。独居房や雑居房の中で無実の罪で冤罪逮捕された映画の主人公の気分で無実を叫ぶこともできるのです。あまり大きな声で叫ぶと不審者扱いされますが、人があまりいないので、普通の声なら大丈夫そうです。

 

左の写真が独居房_右の写真が雑居房

左の写真が独居房_右の写真が雑居房

 

冤罪逮捕された被告の弁護人の気分になれる

 裁判がおこわれたた法廷の部屋もあります。『裁判長、発言の許可を求めます。被告には動機もなければ、証拠がありません。』と弁護人の気分や『被告を有罪とする』といった裁判官の気分や『死刑を求刑します。』と検察官の気分も味わえます。

 当時の裁判官や弁護人などの様子が目に浮かぶようでした。びっくりするこちに、写真には人影が、心霊写真ってこんなはっきり映るんですね。もしかして、心霊スポットとしても有名な場所かも知れません。

明治憲法下の法廷

明治憲法下の法廷

撮影場所として利用できる

いわゆるインスタ映えスポットで、フォトジェニックな場所としてを無料で利用できるのも貴重です。しかも、しかも秋晴れの四連休の二日目の休日ということで、人も多いかなと思ったのですが、意外に思うほど、人がいませんでした。なお、時間は午前11時頃でした。施設の開館時間は、午前9時から午後5時までですが、午後や夕方などは人が混むのかもしれません。

なお、コロナウイルス対策でマスクが必須ということもなく、マスクを着けずに入館も可能でした。

下の写真は3階(この施設では地下1階部分が1階と表現されており、一般の感覚では2階)から、一番の人気スポットの正面玄関や階段を望む写真ですが、人が誰も映っていません。比較的に、自分のペースで撮影できるのではと思います。

 

3階から玄関を望む.jpg

3階から玄関を望む.jpg

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結婚式、写真撮影またはスケッチ等の目的で市政資料館をご利用になる場合、あらかじめお申込みをしていただいています。

なお、個人的な記念としてのご利用に限り、営利関係のご利用はできませんので、ご了承ください。

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といった名古屋市役所のホームページに記載されていますが、あくまで観光のついでに記念撮影といった目的なら許可はいらないようです。

ただ、長時間、たくさん写真や動画を撮影するために利用する場合などは許可は必要かもしれないので、確認した方いいですね。

 

貸し会議室も利用できる

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  市民の皆さんが、会議・集会・研究会・講習会・作品展示などの文化活動を行う集いの場を提供しています。集会室は半日1,000円から、展示室は全日1,000円から貸出しております

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といった名古屋市役所のホームページに記載されていますが、会議室などとして利用できます。料金が本当に手頃ですね。カラオケボックスを利用するより手頃なようで、実際に会議室、集会所として、私が訪問した日に利用されていました。

 

 

貸し会議室としても利用可能

貸し会議室としても利用可能

資料館の中にある喫茶店を利用すれば、飲食も可能なようです。

茶店も、コーヒー300円と、町の喫茶店のような手頃な値段で楽しめるようで、好評のようです。


なお、テーブルとイスがある休憩室がいくつかありました。そこで、休憩もでき、長時間のご利用は禁止されているのですが、近所であれば、図書館の自習室の代わりに利用してもいいのかなと。思いました。

 

以上です。

 

 

ブラタモリ 15 名古屋 岐阜 彦根 

 

www.amazon.co.jp

リアル半沢直樹 西川善文氏、東京三菱銀行に倍返しならず。

 

 

に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介しています。 

 

今回は、『第5章 トップダウンとスピード感』の中の、西川氏率いる三井住友銀行ががUFJ銀行争奪戦で、東京三菱銀行に喧嘩を売られるが、倍返しできずに敗れるという話です。

 UFJ銀行の経営危機、その後のUFJ銀行の経営権を獲得するための東京三菱銀行三井住友銀行の戦いも、三つの銀行や金融庁との利害が絡んで、意外な展開が待っていて、ドラマや小説のような話です。まさに『事実は小説より奇なり。』という感じです。

 

半沢直樹では、スパイラル社に対して敵対的な買収を仕掛けた電脳雑技団社とそのバッグにいる東京産業銀行が悪役、適役となって、半沢直樹率いる東京セントラル証券がスパイラル社のアドバイザーとなって戦うというストーリーですが、UFJ銀行争奪戦をドラマにすると三井住友銀行側で描くか、東京三菱銀行側で描くか、UFJ銀行側で描くかで、悪役、適役かは変わってきますが、三井住友銀行側を主人公にドラマを描けば、

東京三菱銀行が悪役となるような話です。

 

半沢直樹 東京セントラル証券部長時代

半沢直樹 東京セントラル証券部長時代

  

 住友信託銀行UFJ銀行との約束を反故にされる

 

UFJ銀行は、グループ会社のUFJ信託銀行三井住友銀行と同じ住友グルーウの住友信託銀行へ売却することを決定し、2004年5月21日に契約、発表していました。

 しかし、その2ヵ月もたたない7月14日、UFJ銀行UFJ信託銀行住友信託銀行への売却を撤回と、三菱東京フィナンシャル・グループMTFG)とUFJホールディングス(UFJHD)の経営統合で大筋合意し、翌7月16日に三菱東京フィナンシャル・グループ経営統合に向けての協議を開始すると発表しました。

 

 西川氏もこのニュースは大変驚いたようで、回顧録で、

『これにはさすがに驚いた。UFJ信託売却の件は基本合意が済んでいる。それを一方的に破棄し、さらに三菱と統合するというのだから、UFJのやりかたはあまりに身勝手すぎでないか』

 と当時を振り返っています。

 

 その後、住友信託側が東京地方裁判所に交渉差し止めを求める仮処分申請を行ない、東京地裁は2004年7月27日、当該仮処分申請を認める決定を下した。UFJ側がこれに対し異議を申し立てるも、8月4日に却下されたました。その後、2006年11月21日に東京高裁の提案による住友信託に対して25億円の和解金を支払う事で和解が成立しています。25億円の巨額の和解金を支払ったように、非は明らかにUFJ銀行側にあったようです。

 

 西川氏、売られた喧嘩を買う

 こんなUFJ銀行東京三菱銀行背信的な行為に合い、三井住友銀行の行内は、『売られた喧嘩を買う。』ということで、UFJ銀行東京三菱銀行の合併路線と全力と戦うことになります。そして、

 2004年7月30日、電撃的に三井住友銀行持ち株会社 三井住友フィナンシャルグループSMFG)がUFJ銀行UFJホールディングス(UFJHD)に対して経営統合の申入れを表明、8月24日に発表した「1:1」の合併比率はUFJにとっては破格の条件でした。8月30日には、UFJに対する増資引受条件に関する提案を送付します。

 しかし、2004年8月12日、MTFGUFJが2005年10月までの経営統合で基本合意。さらに、9月10日、それまで9月29日までに行うとしていたMTFGからUFJに対する増資を9月17日への前倒しする事を発表した。増資は、公開企業のUFJHDに対してではなく、その傘下の非公開企業であるUFJ銀行優先株7000億円で行い、さらに、TOB(公開買い付け)によりUFJホールディングス株が20%超買い占められた場合は、その優先株に議決権が発生するポイズンピルを盛り込ませていました。

 東京三菱銀行は、UFJホールディングの主要事業でUFJ銀行優先株として増資して、さらに、UFJホールディングが株式が買い占められていた場合は、その経営権を奪い、UFJホールディングをもぬけの殻にすることができるような作戦を実行しました。

 

 これについて、西川氏は、回顧録で、

『完全に株主を無視した行為で、コーポレートガバナンスが機能していたとはとても言えない』

 と批判しています。

 

また、UFJは東京三菱との合併を最終的に選んだことに対し、西川氏は、

『マスコミが、"西川、一敗地にまみれる"などといった記事を書くのもわかる。しかし、これは売られたケンカだった。住友信託への売却を反故にされて黙っているわけには絶対にいかなかった。』

と負けた悔しさを表しています。半沢直樹のように売られたケンカに倍返しはできなかったのですが、これがフィクションと現実の違いですね。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

本の紹介

上記の話は、

  
 
といった著作にも取り上げられています。

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録に沿って、西川氏の苦闘をこのブログでは紹介しています。
 

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

#リアル半沢直樹 # #半沢直樹 #西川善文氏 #金融庁検査 #UFJ銀行 #東京三菱銀行

半沢直樹とドラゴンボールの共通点 【黒崎検査官とフリーザのキャラなど】

 

 倍返しと戦闘力や界王拳のインフレなどから、半沢直樹ドラゴンボールの共通点などを紹介しましたが、黒崎検査官とフリーザーのキャラもかぶっていますね。

フリーザー軍と黒崎検査チーム.png

フリーザー軍と黒崎検査チーム.png

 

Twitterでも、ドラゴンボール半沢直樹の共通点について、投稿されてました。

目に留まった投稿を紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindle unlimited で無料で見れますので、本を買うよりお得かもしれません(2020年9月30日現在)。

 

以上です。

 

『ドラゴンボール』に生きる力を学べ! エディターズカット版 

 

 

いつだってマンガが人生の教科書だった 

 

 

#半沢直樹 #ドラゴンボール #下町ロケット #倍返し #戦闘力 #界王拳 #インフレ #池井戸潤 #下町ロケット

 

 

半沢直樹とドラゴンボールの共通点 【倍返しと戦闘力や界王拳のインフレなど】

 

半沢直樹2【2020年版】も好評ですね。9月20日放送分も終わり、残すは最終回ですが、半沢直樹の『3人まとめて1000倍返し』というセリフも話題になっています。

 

1000倍返し_半沢直樹

1000倍返し_半沢直樹

倍返しと戦闘力のインフレ

ドラマ 半沢直樹は、『倍返し』から

 浅野支店長(石丸幹二)に対する仕返しの『10倍返し』へ、

 大和田常務(香川照之 演)への仕返しの『100倍返し』へ、

 箕部(みのべ)幹事長(柄本 明 演)への『1000倍返し』と

と倍返しの数字が、インフレ気味に増加していきます。

 

 ドラゴンボール上に現れるキャラクターの強さのバロメーター「戦闘力」もインフレ気味に増加しました。強力な敵キャラが登場→悟空たちが修行して戦いを挑む→倒す→もっと強力な敵キャラ登場→もっと修行するという、果てなき堂々巡りのなかで、どんどんインフレ気味に増加していきます。

 戦闘力という言葉が出てきた当時、孫悟空と実の兄 ラディッツが戦った時の戦闘力は、孫悟空:334 ラディッツ:1500でした。

 次に、孫悟空ラディッツの後の強敵ベジータと戦った時の戦闘力は、孫悟空:5000 ベジータ:1万8000(推定)といった状況で100倍以上にインフレ気味に増加というか膨張しています。

 さらに、宇宙一の強敵と思われたフリーザーとの戦いでは、孫悟空の戦闘力は18万、

フリーザーの戦闘力は、53万です。

なお、インフレとは、インフレーション(英語: inflation)の略で、モノやサービスの価格レベル、すなわち物価が、ある期間において持続的に、もしくは急激に上昇する経済現象で、100円だったモノが1年後に200円でしか買えないような事象をインフレと言われます。

倍返しと界王拳

倍返しと言えば、ドラゴンボール孫悟空が界王から伝授された界王拳も思い出しま す。界王拳は、自分の戦闘力を倍にできる技です。 

 ベジータ戦では孫悟空が3倍界王拳を披露し、4倍界王拳かめはめ波ベジータギャリック砲を押し返して吹き飛ばしたが、4倍界王拳を使えたのはほんの一瞬だけでした。
 後にフリーザ戦では常に10倍界王拳で戦うが、時間が経つにつれてフリーザに圧倒され、20倍まで引き上げてかめはめ波を放ちます。

 3倍、4倍、10倍、20倍と倍返しの数字程でないですが、界王拳の倍の数字も増えていきます。

下町ロケットドラゴンボールにも共通点

のように、ドラゴンボール下町ロケットの共通点は多く指摘されています。

下町ロケット半沢直樹の原作も、池井戸潤氏の作品ですが、

ドラゴンボール』的なキャラ設定やストーリー構成は、池井戸潤氏の作品にも共通するようです。なお、下町ロケット半沢直樹の脚本は、八津 弘幸(やつ ひろゆき、1971年9月1日 生まれ)という方で世代的にもドラゴンボールを見て育った世代で、しかも、マンガの原作などの仕事もされている方なので、ドラゴンボールの影響を強くうけているか、ドラゴンボールを意識しているのかも知れません。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

以 上 です。

 

『ドラゴンボール』に生きる力を学べ! エディターズカット版 

 

 

いつだってマンガが人生の教科書だった 

 

 

#半沢直樹 #ドラゴンボール #下町ロケット #倍返し #戦闘力 #界王拳 #インフレ #池井戸潤 #下町ロケット

 

 

リアル半沢直樹 西川善文氏に加え、リアル黒崎駿一 目黒謙一氏も登場。

 

に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介しています。 

 

 

今回は、『第5章 トップダウンとスピード感』の中の、西川氏率いる三井住友銀行ががUFJ銀行争奪戦で、東京三菱銀行と争います。

 UFJ銀行の経営危機、その後のUFJ銀行の経営権を獲得するための東京三菱銀行三井住友銀行の戦いも、三つの銀行や金融庁との利害が絡んで、意外な展開が待っていて、ドラマや小説のような話です。まさに『事実は小説より奇なり。』という感じです。

 UFJ銀行の経営危機のきっかけには、半沢直樹の黒崎駿一のモデルといわれる金融庁の統括検査官だった目黒謙一氏、つまりリアル黒崎俊一も登場します。

  

 ノーパンしゃぶしゃぶ事件

 大蔵省接待汚職事件とも言われますが、1998年(平成10年)に発覚した大蔵省を舞台とした汚職事件であります。大蔵省の職員らが銀行から接待を受けた際に、中国人女性が経営する東京都新宿区歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」を頻繁に使っていた事が発覚した事からノーパンしゃぶしゃぶ事件とも言われています。金融庁の前身である大蔵省金融検査部門よりノンキャリア検査官2名が逮捕、1名が自殺に追い込まれる結果となっています。

 当時、三和銀行UFJ銀行の前身)のMOF担(対大蔵省折衝担当者)だった早川潜氏は、東京地方検察庁特別捜査部に積極的に情報提供していました。以来、金融庁など金融当局から不興を買っていました。

 金融庁UFJ銀行に倍返しする

 MOF担(対大蔵省折衝担当者)だった三和銀行早川潜氏は、当時は、UFJ銀行の常務として、大口融資先の再建・つまり大口の不良債権の処理を担当していました。早川氏らは、審査資料として「楽観」「成り行き」「最悪」の3シナリオを用意し、「楽観」シナリオが採用され、債務者区分は「破綻懸念先」が格上げされることにより、不良債権処理の損失は圧縮していました。また、「成り行き」「最悪」のシナリオは隠蔽され、さらに議事録も改竄していました。

 「成り行き」「最悪」のシナリオは隠蔽するために、都合の悪い資料は、「ヤバファイル」(ヤバイ資料を意味する合成語)と呼ばれ、段ボール箱に入れて、東京本部の15階の審査第5部から、1階下の14階の別室に疎開させ、さらにパソコンに入力してあったデータ約3万5000件分も大阪のサーバーに疎開させていました。

 2003年10月から、鬼検査官として各行の役員・担当者を震え上がらせていた目黒謙一氏が、金融庁の統括検査官として、大口融資先の債権は健全か、健全でなければ必要な引当金の処理をしているかという観点で、特別検査をしていました。この目黒氏が、リアル黒崎と言われる人です。

 「14階に隠された資料がある。調べてください」という1本の匿名電話による内部告発により、その存在をリアル黒崎検査官といわれる目黒検査官も知ります。

 目黒検査官が、告げられたルームナンバーの部屋に入ると、段ボール箱がうずたかく積まれていた。数にして100箱余。目黒が段ボール箱の一つから書類を取り出すときに、『イヤッーホ! 出た!』と満面の笑みでガッツポーズしたかどうかはわかりません。

いやっほー出た_金融庁検査官_黒崎駿一_ドラマ半沢直樹より

いやっほー出た_金融庁検査官_黒崎駿一_ドラマ半沢直樹より

 

 ただ、かたわらにいたUFJの行員が、慌てて、その書類を取り上げて破ろうとしたというドラマのような光景があったそうです。

 

 金融庁は、これらの行為を「組織的な隠蔽工作」と断罪しました。違法行為に役員が、直接、関わっていた点を重視し、過去に例のない組織ぐるみの悪質な犯罪と認定されました。その後、UFJ銀行は予定していた増資もできず、不良債権の対する引当不足となり、単独での存続が難しくなり、他の銀行との合併を迫られます。

 翌年、2004年(平成16年)5月に、頭取の寺西正司は退任に追いこまれ、この検査忌避により、UFJ銀行は一部業務停止を含む金融庁行政処分を受け、さらに、2004年10月、法人としてのUFJ銀行と、早川常務ら元担当役員ら3人が、銀行法違反(検査忌避)容疑で金融庁より刑事告発を受け、同12月には東京地検特捜部は同法容疑で早川元常務ら3人を逮捕しています。

 

 目黒謙一氏の実像

黒崎氏は2019年12月に亡くなりましたが、以下のような著者も出しています。

 

「先日、メガバンク取締役の方の役員室でも拝見しました。私は、きわめて信頼性のある良書と存じます。近年、内外金融機関経営に大きく影響を与える規制・制度変更ですが、その背景・方向性などに関して俯瞰できる1冊です。著者の経歴面も本書の信頼性を裏付けます。相応のボリュームがありますが、ここ1・2年の内外動向の基礎の習得を企図される限りにおいては、最良の書と私は思います。一度、お手にとる、いえご購入頂いても決して後悔のないことと存じます。」とAmazonのレビューにありますが、実務家として大変優秀な方だったようです。

 

 

 

 

 目黒氏は宮城県出身で、高卒で1966年に旧大蔵省に入省し、金融機関の検査を担当、現在の金融庁が分離して発足した後も一貫して、ノンキャリア組のベテラン検査官として活躍しています。エリートのキャリア官僚の黒崎のキャラとは違いますね。

 

また、目黒氏は、公務員のお手本のような実直な人物だったそうです。金融庁の元部下は「金融機関に対して決して威圧的な態度はとらなかった」と振り返っています。検査の際も、立ち入る前より会場を綺麗にするよう指示し、自らトイレのゴミも拾っていたそうです。この辺も黒崎のキャラとは全然違いますね。

 

 

chanmabo.hatenablog.com

 

本の紹介

上記の話は、西川氏の回顧録には詳しは書かれていませんが、

 

  
 
といった著作にも取り上げられています。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 
 
 
 
ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録に沿ったUFJ銀行争奪戦での西川氏の苦闘は次(↓)のブログで紹介します。 

 

 

 

仕事ができる人」とは?「部下がついてくる人」とは?

「剛腕」「鬼上司」「不良債権と寝た男」…悪評を物ともせず、時代の先を見通し、
今何をすべきか腹の底から理解していた男は、人の真価を見抜く天才でもあった。
2020年9月に世を去った「ラストバンカー」西川善文の遺言。

 


  

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

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リアル半沢直樹 西川善文氏の金融庁との戦い、逆さ合併で大逆転へ。

 

に続けて、

リアル半沢直樹 西川善文<にしかわ・よしふみ>氏の活躍、活躍というより苦闘という表現があっているかも、その苦闘を紹介します。

どんな活躍をしたのか、彼の回顧録

ザ・ラストバンカー 西川善文回顧録

に従って、紹介しています。 

 

今回は、『第四章 不良債権と寝た男』の中の、西川氏が金融庁検査と戦い、金融庁の国有化方針と戦う話です

金融庁検査官_黒崎駿一_ドラマ半沢直樹より.jpg

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 ドラマ半沢直樹では、金融庁検査官 黒崎が主人公の半沢を窮地に陥れようとするシーンは、見どころの一つです。リアル半沢直樹 西川善文氏が頭取として、金融庁検査、検査という金融庁の行政そのものと戦う姿も、まさにドラマのようですね。

 なお、この時の西川氏のライバルは、竹中平蔵金融担当大臣、竹中大臣率いる金融庁の「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」、いわゆる竹中チームだったようです。

 

 ゴールドマンサックスからの巨額増資を引き出す

 2002年10月に竹中チームは金融再生プログラムを発表し、2004年度までに不良債権の半減を求め、その結果、資本不足になる場合は公的資本の投入を決定しました。公的資本の投入とは、国が株主になる、つまり、一時的な国有化も意味します。

 実際に、りそな銀行は破綻寸前という認定され、りそな銀行は、政府による、総額1兆9660億円の公的資金注入(正確には預金保険機構による株式取得)が実施され、一時りそな銀行は事実上預金保険機構筆頭株主となり、一時的な国有化が実施されています。国有化は倒産ではないですが、銀行の場合、倒産はさせられいので、国有化して、国の管理監督が強め、経営の自主性が奪って、国主導で再建させるということです。

 

 竹中チームの金融再生プログラムの前から、銀行の大幅の資本増強が必要なことは西川氏もわかっていたようで、2002年5月に、米国の投資銀行ゴールドマン・サックス社のポールソン会長と面談し、資本の増強のため、株式の引き受けを要請しました。

 結果として、2003年1月に、ゴールドマン・サックス社が三井住友銀行優先株1503億円を直接引き受けて、加えて、3405億円の優先株を海外の投資家にゴールドマン・サックス社を通して販売してもらいまいした。

 海外投資家への販売分3405億円は、もともとは3000億円だったようで、ぎりぎりのところで、追加で500億円が必要になり、深夜によるテレビ会議で、直接、西川氏がポールソン会長に協議して決定したそうです。本当にドラマのような展開ですね。

 5000億円の海外投資家からの優先株の発行による資本増強だけでは不十分だったようで、『逆さ合併』という奇策を実行します。

 

 

 

 まさかの逆さ合併

  2003年3月に、旧さくら銀行の子会社、わかしお銀行(経営破綻した地方銀行の太平洋銀行の営業を引き継ぐための受け皿銀行)を、住友三井銀行が合併します。

 当然、親会社と子会社、日本のメガバンクと一度潰れた地方銀行との合併ですから、三井住友銀行が存続会社となり、わかしお銀行が消滅会社となると思いますが、そうではなく、三井住友銀行を消滅会社として、わかしお銀行が存続会社として、合併したのです。このような小が大をのむ合併、実質的な存続会社と法的な存続会社が逆になっている合併が『逆さ合併』と呼ばれます。

 

 『できることなら私もしたくなくなかった。平成創業のわかしお銀行の法人格を残すことで、明治28年創業の歴史と伝統のある住友銀行の法人格が消滅してしまったのだ。しかも、この手法は一度きりしか使えない、銀行が生き残るための”切り札”であり、文字通り名より実を取るやり方であった』

と西川氏も振り返ります。

 

 逆さ合併をした理由が、わかしお銀行が優良で知名度が高かっただったわけでなく、会計処理による含み益の実現です。

 当時、三井住友銀行は、有価証券の評価損8,000億円が三井住友銀行自己資本を大きく毀損し、準国有化の懸念がありました、三井住友銀行の全国津々浦々の土地の含み益は2兆円程度あり、この含み益を再評価して、実現した利益にできれば、評価損を計上しても、1兆円程度の自己資本の増強ができました。

 そのために、三井住友銀行わかしお銀行に吸収合併させることで、三井住友銀行の土地を再評価して、2兆円程度の利益を実現し、優良銀行に変身できたのです。

 逆さ合併といっても、三井住友銀行の法人格が消滅するわけですから、取引先との契約や許認可などとの交渉など相当、苦労があったはずで、西川氏も、イギリスの金融庁から、認可が取消という事態を防ぐために、ロンドンに飛び、イングランド銀行の総裁とトップ交渉をしたそうです。

 本当にドラマや小説でも出てきそうな話ですが、逆さ合併なんて、当時ではドラマや小説でもでてきそうにない話です。

 いずれにしても、西川氏は2002年度に9.7%の不良債権比率(不良債権額 5兆9千億円)を、2004年9月期には、4.4%の不良債権比率(不良債権額 2兆5000億円)にすること、不良債権を半減以下にする成功し、金融庁の国有化方針から、三井住友銀行を守ったのです。

ちなみに、金融庁検査官 黒崎は、西川氏が頭取の時代の金融不安の時代、大手の銀行を厳格な検査を実施し、資料の隠ぺい工作を暴いて、業務停止に追い込み、その銀行は合併に追い込まれた。という逸話が小説で紹介されていた記憶がありますが、これは2003年のUFJ銀行の金融検査忌避事件をネタにしているのだと思います。

 

 ちなみに、半沢直樹 1 オレたちバブル入行組 (講談社文庫) もKindleunlimited で無料で見れますので(2020年9月30日現在)、本を買うよりお得かもしれません。

 

本の紹介

 

 

著者について
西川 善文<にしかわ・よしふみ>
三井住友銀行頭取、前日本郵政社長。1938年奈良県生まれ。1961年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、1997年に58歳の若さで頭取に就任し8年間務める。2006年1月に民営化された日本郵政の社長に就任するも、政権交代郵政民営化が後退したため2009年に退任。現在は三井住友銀行最高顧問。

 

内容(「BOOK」データベースより)
私は悪役とされることが多かった―。顔が見える最後の頭取=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革。現場にいたのは、いつもこの男だった。密室の出来事すべてを明かす! 

 

逃げたらあかん!
不良債権と寝た男」、死に物狂いの仕事人生

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放劇、銀行大合併、UFJ争奪戦、小泉・竹中郵政改革……。現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「最後の頭取」=ザ・ラストバンカーと呼ばれた著者が綴った、あまりに率直な肉声!

マスコミ報道の騒乱の中で失われた金融史のミッシングリングを埋める。

<目次>
◎第一章 バンカー西川の誕生 ◎第二章 宿命の安宅産業 ◎第三章 磯田一郎の時代
◎第四章 不良債権と寝た男 ◎第五章 トップダウンとスピード感 ◎第六章 日本郵政社長の苦闘 ◎第七章 裏切りの郵政民営化

以上です。

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