『李明博自伝』を読んで

李明博自伝 (新潮文庫) | 李 明博著作 平井 久志 (翻訳) 

(ホームレス→現代建設社長→韓国大統領の自伝)を読んで、興味深かった点など紹介します。

 

▼目次

 

 

■ 李明博氏とは

李明博氏は、2008年2月から5年間、韓国大統領を務めました。

日本人は、2012年8月に大統領として島根県竹島に上陸したというニュースがなじみが深いかもしれない。

 

Wikipediaの解説を引用します。

李明博(イ・ミョンバク、ハングル: 이명박; ハンチャ: 李明博; 朝鮮語: [i.mjʌŋ.bak̚]、1941年12月19日 - )は、韓国の政治家。第14代国会議員、ソウル特別市長および大韓民国第17代大統領を歴任した。本貫は慶州李氏(朝鮮語版)。号は一松(イルソン、일송)。日本・大阪府出身である。生誕から1945年まで用いていた日本での通名は月山 明博(つきやま あきひろ)


大阪出身。日本の降伏に伴い日本から朝鮮へ引き上げた後に苦学して大学を卒業。当時草創期にあった現代グループの現代建設に入社し、頭角を現して36歳で社長に就任する。
退職後は経済界から転身して政界入りし、新韓国党とハンナラ党に所属。1992年から二代に渡って国会議員を務め、2002年のソウル市長就任後は都市改造政策等を行った。2007年には大統領選挙に出馬し、大差で当選。翌2008年2月から第17代大韓民国大統領を務め、2013年2月に任期満了で退任。
2018年3月、大統領在任中に犯した収賄や横領等の容疑で逮捕。一審(同年10月)及び二審(2020年2月)でいずれも有罪判決。上訴したが2020年10月に大法院で懲役17年の有罪が確定し収監される。退任後に有罪判決を受けた韓国史上5人目の大統領となった。なお、日本生まれで外国の元首をつとめた唯一の人物である。

 

韓国の大統領では珍しくないですが、大統領退任後も逮捕、実刑も含めて、波乱万丈の人生です。

 

 

 

■ ホームレスから大統領へ

オモニ ホームレスから大統領へ

オモニ ホームレスから大統領へ

  •  
  • ホームレス大統領 韓国李大統領の一代記 ホームレスから大統領へ上りつめた現韓国大統領・李明博氏の自叙伝的エッセイ。立身出世物語の陰には涙と感動を誘う家族愛が満ち溢れていた。翻訳は蓮池薫氏。
  •  
  • 作者:李 明博
  • 講談社
Amazon

という本もあります。


私が読んだ、の中で、そのホームレス時代と思われる少年時代の話が述べられています。

 

 (朝鮮)戦争でアボジが失業すると、私たちは家の山の中のふもとの寺の後に移さなければならなかった。
日本の寺の後だったため敵の財産の寺という意味なのか、チョクサンサ(敵産寺)と呼ばれいた。
部屋は一つで台所もなく、十五世帯が集まって暮らしていた。
彼らはみんな日雇いでもできる日があれば良い日だと考える、貧困の果てまで追い込まれた人たちだった。
明け方から夜遅くまで言い争う声、腹が減り泣く声、病気になり死に行く声で波風の立たない日はなかった。
 静かなのは私たちの家だけだった。家族全員が稼ぎの現場に身を捧げなければならなかったからだ。
それでも、三度の食事を得ることすら珍しかった。

()は私の補足です。

 

ホームレス大学生 (幻冬舎よしもと文庫) | 田村 研一 |本 | 通販 | Amazon

といった本がベストセラーになり、ドラマ、映画、漫画にもなりましたが、
ホームレスとは極貧、悲惨な状況をよく表しているので、そんな逆境を象徴する言葉として利用されるのでしょう。

 

■ ホームレスから会社社長に、その会社についてのブログ

ホームレスから会社社長に、その会社(オウケイウェイブ)については何度かブログで取り上げています。

気になった方は、見ていただけると嬉しいので、紹介します

 

 

ホームレスからのリベンジ あるIT社長の独白 (小学館文庫)

ホームレスからのリベンジ あるIT社長の独白 (小学館文庫)

夢を見つけたから、どん底から這い上がれた!

子どものころからのいじめや病気など、八方ふさがりからやっと抜け出せたかと思えば、友人からは裏切られ、妻からは離縁状を突きつけられる……。そんな中でも人生を諦めなかったのは、「いつかきっとよくなる」という見知らぬおばあさんからの一言と、妻と子どもへの愛情、そして何よりも「人のためになることをしたい」という思いだった。ドラマ『今週、妻が浮気します』の原作本を生んだサイトの創案者自身が書き下ろした、人間本来の「夢と幸せ」。

小学館Amazon

 

 


 

ここからは、私が興味深かった点を紹介したいと思います。

 

李明博自伝 (新潮文庫)

李明博自伝 (新潮文庫)

  • 作者:李 明博
  •  
  • 赤貧の幼少期、投獄経験、異例の出世―。大阪に生まれた李明博は、いかにして大統領までのぼりつめたのか。企業戦士として、世界に先駆けて中東に進出し、国交もなかったロシアとの通商を開始。35歳で社長就任と、前代未聞のスピード出世を遂げた男の人生哲学とは何か。韓国で、その波瀾万丈な半生から「神話の主人公」と呼ばれる大統領が、政界に身を転じるまでを綴った、壮大な自伝。
  • 新潮社
Amazon

 

■ 財閥の総帥の論理

(29歳で取締役、36歳で社長、47歳で会長に就任して現代建設を現代財閥の中核として、韓国有数の会社に押し上げた経歴か)
財閥の総帥は、徹底した計算で人を使う。鄭会長と私が父子のようだという言葉を聞くと、私は笑ってしまう。
地縁や学閥など、私的な感情や関係を人を使って財閥の総帥になった人はいない。
現代グループのように、中小企業から大財閥になった場合は、例外なく、人を科学的に使った。
外から見れば非情だと映るほど、私的な感情はまったく介入されなかった。
鄭会長は早くから徹底した計算によって人を使う用兵術にたけていた。

 私が現代グループで27年間、仕事をできた理由は単純だ。他人ができないことをやり遂げたからだ(P23から抜粋)。

 

(新人社員当時、平社員から課長、部長を飛び越えて、タイの高速道路建設の責任者を鄭会長から命令されて)
外部から見れば破格であったが、鄭社長にとっては、極めて合理的な人事だった。
能力優先主義、経歴や年齢に関係なく、仕事をやる能力を見てポストを与える進取的な考えは企業人として
鄭周永社長のもっとも大きな長所の一つだった(P133から抜粋)。


オーナー企業で、経歴や年齢に関係なく抜擢されると、オーナーの情実、縁故が理由かと推測していまいますが、
オーナー企業こそできる、能力優先主義による能力が理由なのかもしれません。
ある程度、歴史、規模のある組織では、明示的な規定や暗黙の秩序、空気があり、完全な能力主義は難しいですが、
オーナー企業だと、合理主義的な能力優先主義が、実現しやすいのかもしれません。

 

■ 現代グループや鄭周永氏に関するブログ

現代財閥グループや創業者鄭周永氏に関するブログや鄭周永の弟が創業者のハンラグループについてのブログも紹介します。

 

 

■ 外貨を稼ぐことの重要性

(軍の将校がが経済政策で、現代グループ自動車産業から撤退することを求められて、それを断るために、李明博氏が苦学した経歴や今までの国家への貢献を話すシーンです。

 

「大学を卒業してからは、会社とともに、海外に出て外貨を稼ぐために昼夜を忘れて働きました。
(中略)私はそれこそ戦場のような海外市場のど真ん中で、外貨を稼ぐために、一日18時間以上も働き、四、五時間以上寝たことはありません。」


その時、一人の将校が話を遮った。
「私たちも戦争に行きました。ベトナム戦争です。」(P211から抜粋)

 


ベトナム戦争は、韓国は、アメリカの同盟国として参戦しています。アメリカによる軍事・経済援助や外貨収入が目的であったといわれます。


実際に、その効果は大きく、日韓基本条約による莫大な援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となったといわれます。

 

おそらく、その将校は、外貨稼ぎのために、軍人の私だって、貢献したこと、そのために命の危険もある戦争にいったことを伝えたたかったのしょう。


国の外貨不足は、自国通貨安につながり物価の上昇、外貨建の債権のデフォルトの危機、金利の急上昇、企業の信用不安につながります。
実際に外貨不足も理由で、1997年にIMF危機といわれる経済恐慌のようなことが韓国で起こっています。

 

日本人が、国への貢献で外貨を稼いたことをアピールすることはありません。
世界的には日本が珍しいのかもしれません。
外貨不足を気にするない国は、日本かもしれません。
外貨建の債権がほとんどない日本、恒常的に貿易収支、経常収支(金融、サービスなど収支)が黒字の日本で、

 

外貨不足することの危機感は日本人にはありません。
最近は、円安が急速に進んで問題視されて、円(自国通貨)も高くなることが問題とされるよう国でした。

いずれにしろ、
『国が破綻するかも。国がなくなるかも』といった危機感が常にある人が多い国は、経済的にも強い国になるのかと思いました。
韓国、台湾、シンガポール、スイス※がその例です。

※スイスは、EUNATOにも加盟せず、周りに同盟国がなく、周りがすべて敵になるかもしれない国です。それでも、経済水準、所得はヨーロッパでトップクラスです。


■ 適性を変えろ

 

(肯定的、積極的な考え、挑戦意識を持てと伝えた後に)私は、新入社員にはもう一つこんなことを言う。


「適性を変えてください。この仕事は自分の適性に合う、合わないと判断しないで、皆さんの適性を仕事に合わせてください。」

 

(内向的な恥ずかしがり屋の少年だった自分が、建設業に合うように外向型猪突猛進型の性格に変えたことを触れ)
自分の適性に合う仕事ばかり求めると、結局何もできなくなる。
やりたい仕事とできる仕事の広範かつ大きな落差を縮める苦しい努力を続けるより、自分の適性を目の前の仕事に合わせるほうがはるかに効率がいい。
それが現実というものだ。

 

仕事とは、雇用契約に基づく、雇い主から指揮命令に対して、労務の提供により、対価をもらうことです。
適性とは関係なく、仕事をすることは当たり前ですが、わざわざ李明博氏がこんなことを言うといことは、
韓国では、日本でもそうですが、自分の趣味嗜好に合うかみたい適性で考える人が多いのかもしれません。

私は、適性が能力といった意味では、適性と関係のある仕事をするの当然だと思いっていますが、
比較優位の法則というものがあります。

趣味嗜好みない意味の適性であれば、李明博と意見が同じです。

 

李明博自伝 (新潮文庫)

李明博自伝 (新潮文庫)

  • 作者:李 明博
  •  
  • 赤貧の幼少期、投獄経験、異例の出世―。大阪に生まれた李明博は、いかにして大統領までのぼりつめたのか。企業戦士として、世界に先駆けて中東に進出し、国交もなかったロシアとの通商を開始。35歳で社長就任と、前代未聞のスピード出世を遂げた男の人生哲学とは何か。韓国で、その波瀾万丈な半生から「神話の主人公」と呼ばれる大統領が、政界に身を転じるまでを綴った、壮大な自伝。
  • 新潮社
Amazon

 

 

以上です。